top profile discography schedule blog twitter facebook order other


コマンドラインからこんにちは from 関島岳郎


2001年10月16日(火)最近思ったこと

その1
 インターネットは年々重くなっている。特に今年に入ってからがひどい。僕はこれを常時接続とi-modeのせいではないかとにらんでいる。我々がインターネットを使うということは、電子メールにせよウェブを閲覧するのにせよネットに相応の負荷をかけているのだが、最近の傾向としてそのことにあまりに無頓着になりすぎているのではないだろうか。インターネットは使わせてもらっているものだという認識が大事だと思う。

その2
 「〜じゃないですか」は語尾上げと一緒だ。

その3
 やましいことは、どさくさにまぎれてやるに限る。

その4
 近藤君に川口君のひげをつけたら…。

[link:30] 2001年10月16日(火) 23:13


2001年11月26日(月)けむり(1)

栗「おっ、ひさしぶり。」
川「どーも、どーも。お元気そうで。あれ、あとの二人は?」
栗「もう来るんじゃないかな。川口君は最近どこ行ってたの?」
川「いやだなあ、栗コーダーでツアーに行っていたじゃない
ですか。」
栗「あ、そうか。全然ひさしぶりじゃないね。」
川「だけど、びっくりしたなあ。突然だからねえ。」
栗「ああ、びっくりしたよ。」
近「どうも。」
栗「あ、近藤君だ。ひさしぶり。」
川「ひさしぶりじゃないよー。」
近「いろいろな顔ぶれが集まっていますなあ。」
栗「あ、あそこに八木さんがいる。」
川「あいさつしてこようか。」
栗「いや、この状況で行くと話が長くなりそうだから後にし
よう。」
近「あっちでぜんちゃんを見たよ。」
栗「ぜんちゃんは来るよね。」
川「ミスタークリスマスのメンバーはけっこう来てるね。桜
井さんや角田さんもいたよ。」
近「松浦さんは遠いから無理かな。」
栗「あ、宇宙人とあらきんさんが話している。」
川「わー、宇宙人だ、宇宙人だ。」
近「しんりんちゃんは遅いなあ。」
関「どうも、遅くなりました。まだ始まってない?」
栗「あ、どうも、おひさしぶり。」
川「ひさしぶりじゃないって。」
近「あ、大筒を持ってきましたか。」
関「一応。テューバはじゃまなので置いてきました。」
川「ストラーダは演奏しないんですか?」
関「いや、特にそういう話はないけど。」
栗「あ、関島さんはちゃんと黒を来てきたんですね。」
関「まあ、気持ちだけ。でも、突然でしたね。」
川「いやー、ほんと。」
近「あっけないものですね。」
関「しかし、すごい顔ぶれが集まっていますね。」
川「なんか同窓会みたいで楽しいよね。」
関「そうそう、篠田さんの通夜の時も思ったんだけど、なん
かね、不謹慎だけど楽しいんだよね。」
栗「半分くらいは知った顔かな。」
川「ひさしぶりに見る顔も多いね。」
近「やっぱり演奏するの?」
栗「リコーダー四重奏でさあ、短く1曲やるのは?」
関「賛美歌306番は?」
栗「あ、中筒が無いや。」
近「アメージンググレースがいいんじゃないかな。」
川「あのアレンジで?」
関「ブッシュネットが無いよ。」
栗「『今こそ別れ』でどうかなあ。」
川「うん、手堅いね。」
近「状況が状況だから安全なのでいいんじゃないかな。」
関「じゃあ、『今こそ別れ』で。演奏はどのへんでやるのか
な。」
栗「いやあ、どうだろう。大体仕切っているのは誰だっけ?」
近「誰かなあ。受付で聞いてみようか。」
栗「まあ、もうちょっと落ち着いてからでいいんじゃないか
な。」
川「あ、COTU COTUの3人だ。 ちょっとひげ談義でもしてく
るかな。」
関「合言葉は『ひげ』だね。」
川「あの関島さんのヨーロッパ日記ではひどい目に会いまし
たからねー。いろんな人に『いやあ、川口君ってすごい
んだね。』って言われたんですから。」
関「ごめんごめん、ま、『嘘も方便』ってさあ。」
川「それにしても、HOBO SAX QUARTETのビデオのジャケに地
球の歩き方を持った僕を書かれちゃうし。 」
関「いやあ、やっぱり面白いのが一番でしょう。 HOBO SAX
QUARTETは今日演奏するの?」
川「どうでしょうねえ。梅津さんと多田さんは来ているみた
いだけど。僕も一応アルトサックス持ってきましたから。
その分、ソプラノサックスを持ってこなかったんで、
『うれしい知らせ』とかできませんけどね。僕も今日は
車じゃなかったので。」
栗「全員車じゃないのも珍しいかな。」
近「あ、いさ子ちゃんだ。」
関「来年は円形あるかなあ。」
栗「どうでしょうなあ。」
川「また栗コーダーでやりたいけどねえ。」
栗「そうですなあ。」
近「今、ふと思ったんだけどさあ。」
栗「ふむ。」
近「南青山マンダラくらい大きさで。」
栗「ふむ。」
川「ふむふむ。」
近「円形のライブハウスって作ったらどうかな。」
関「ということは、ステージは真ん中に?」
栗「それは新しい!‥‥でもすごく使いにくいぞ。」
川「僕等はまだいいけど、普通のバンドはやりにくいよね。」
関「もって3か月かな。」
近「『今、ふと思いついた』だけのことはありますな。」
関「あ、たまの3人だ。知久君にこの間買ったサハの口琴を
みてもらおうと思っていたんだけど、今日に限って口琴
箱を持ってこなかったなあ。」
近「あ、ひさしぶりに知久君とやるのはどうかなあ。」
川「え、今ここで?」
関「楽譜がなあ‥‥。」
栗「今日は車じゃないから、基本セットの楽譜しか持ってき
てないよ。」
川「まあ、またの機会でということで。」
近「残念。『おるがん』とかいいかなと思ったんだけどね。
ほら、『ぼーくーが、死んだひー』って。」
関「それはあんまりじゃないかなあ。」
栗「今日の近藤君は、なんかいい感じだね。でも、まあ、突
然だったからね。」
川「突然でしたねえ。」
関「あれ? あそこにいるのは‥‥。」
栗「あ、岡村君ではありませんか。えー、なんでいるんだろ
う。」
近「どういうつながりかな?」
関「ところで、今日って誰の葬式でしたっけ?」
栗「お、それは意外なことに気がつきませんでしたなあ。誰
だっけ?」
川「誰だっけ?」
近「さあ?」
関「でも、突然でしたね。」
栗「いや、まったく。」

[link:31] 2001年11月26日(月) 10:40


2001年11月28日(水)11/24ジュニアミュージックステージ用台本(だいたいこんなことをやりました)

☆☆いろんな音を出して、お話に音楽をつけてみようのコーナー☆☆ ver.3.0


      ※栗コーダーの演奏、楽器紹介コーナーが終わる。

おにいさん 「栗コーダーカルテットの演奏を聞いてい
       たら、なんだかリコーダーを吹いてみた
       くなってきたなあ。」
おねえさん 「そうよねえ!会場のみんなは?」
子供達   「はーい!」
おにいさん 「それじゃ、栗コーダーカルテットのみな
       さん、よろしくお願いしまーす。」
栗原    「はい、それでは、みんなでリコーダーを
       吹いて遊んでみようね。」
五十嵐   「ちょっと、ちょっと。僕もいっしょにリ
       コーダーを吹いてみたいんだけどさあ、
       実はリコーダーを吹いたことがないんだ
       よね。」
おにいさん 「あ、そういえば、僕も吹いたことがない
       や。」
おねえさん 「会場のみんなの中にも、まだリコーダー
       を習っていない子がいるわよね。」
栗原    「大丈夫、今日はリコーダーで一番出しや
       すい音、ソとラとシの音で遊んでみまし
       ょう。」
おにおね五十「ソとラとシ?」
栗原    「最初はシの音から。左手の親指と人指指
       で、リコーダーの裏の穴と一番上の穴を
       押えます。右手の親指でリコーダーをさ
       さえて‥‥、息を入れて音を出してみよ
       う。」
おにいさん 「あ、出た出た。」
おねえさん 「私も。」
五十嵐   「あれー、僕はこんな音になっちゃうんで
       すけど‥‥。」
栗原    「それはね、息を強く入れすぎているんで
       す。 もっとやさしく吹いてみて下さい
       ね。」
五十嵐   「あ、本当だ、これがシの音だね。」
栗原    「次はラの音。シの音の指のまま、左手の
       中指で上から2番目の穴を押さえてみよ
       う。」
五十嵐   「はい、ラの音、出ました。」
栗原    「そして、そのまま左手の薬指で上から3
       番目の穴をふさぐとソの音。ソとラとシ
       の音を順番に出してみよう。」
おにいさん 「うわあ、3つの音が使えるようになった
       よ。」
おねえさん 「おもしろいわねえ。」
五十嵐   「あの、ちょっと、ちょっと。こんな音に
       なっちゃうんですけど。」
栗原    「それはちゃんと穴をふさいでいないから
       ですね。 すきまがあかないようにしっ
       かり穴をふさぎましょう。」
五十嵐   「あ、出た出た。ソラシの音が吹けるよう
       になりました。」
栗原    「それでは、ソとラとシの音の練習を兼ね
       て、音のまねっこ遊びをしてみよう。」
おねえさん 「音のまねっこ遊び?どうやるの?」
栗原    「ソとラとシの音を使って、僕がリコーダ
       ーで短いメロディーを吹きます。それを
       みんなでまねして下さいね。」
おにおね  「はーい。」
五十嵐   「みんなも一緒にやってみよう。」

      ※しばらく音のまねっこ遊び。簡単なもの
       から、ありものメロディー(後ろの正面、
       一番星、チャルメラなど)まで。最後に
       サイレン。

栗原    「はい、よくできました。」
五十嵐   「3つの音だけでもいろんなことができる
       んだね。今最後にやったのはサイレンで
       すか?」
栗原    「そうです。シーソーシーソーって吹いて
       いるんですよ。こんなふうにだんだん息
       を弱くしていくと、遠ざかっている感じ
       がでるね。」

      ※ドップラー効果

五十嵐   「ほお、おもしろいですなあ。会場のみん
       なもやってみよう。」

      ※しばしサイレン

栗原    「こんどは、ソとラとシの音を中心に使っ
       て、お話に音をつけて遊んでみましょう。」
おにおね  「お話に音をつける?」
五十嵐   「どんなお話に音をつけるんですか?」
栗原    「今日はみんなが知っている浦島太郎のお
       話に音をつけます。」
おにいさん 「浦島太郎?」
おねえさん 「浦島太郎にはどんな音がつくかしら。」
五十嵐   「やっぱり玉手箱を開けた時の音が大事だ
       よね。」
栗原    「玉手箱を開けた時はどんな音がするかな
       あ。もくもくけむりが出てくるからこん
       な音かな?」

      ※玉手箱の音(ボーランで締める)

栗原    「ちょっとむずかしいけど、穴を全部押さ
       えて、下からすこーしずつ開けていきま
       しょう。」
五十嵐   「先生、できませーん。」
栗原    「これはむずかしいから、気持ちで持って
       いきましょう。じゃあ、みんなで、せー
       の。」

      ※玉手箱の音(ボーランで締める)

栗原    「はい、いいでしょう。」
おにいさん 「なーんとなく煙がもくもく出てくる感じ
       がするね。」
おねえさん 「あ、そうだ、竜宮城でお魚達が踊ってい
       る時の音楽がいるわよねえ。」
おにいさん 「そうだ、そうだ、竜宮城の音楽。」
栗原    「それは、ソとラとシの音を使って、こん
       な曲をつけてみましょう。」

      ※竜宮城の音楽のメロディーを吹く。

五十嵐   「シラシラー、シラシラー、ラソラソー、
       ラソラソーか。うーん、すぐおぼえられ
       そうなメロディーだけど、ちょっと単純
       かな。」
栗原    「ならば、こんな伴奏をつけてみましょう。
       みんなも一緒に吹いてね。シラシラー、
       シラシラー、ラソラソー、ラソラソーだ
       よ。」

      ※竜宮城の音楽、伴奏付き

五十嵐   「お、がぜん面白くなりましたなあ。」
栗原    「伴奏の音のつけ方で、メロディーはいろ
       んな聞こえ方をしますね。」
おにいさん 「さあて、あとはどんな音があるかなあ。」
おねえさん 「浦島太郎が亀の背中にのって竜宮城へ向
       かう時の音は?」
栗原    「そうですね、スイー、スイーと泳いでい
       る感じだから、簡単にこんなのをつけて
       みましょうか。音はシーラ、シーラ。」

      ※伴奏が3拍子をきざんで、亀の泳ぎの音楽

五十嵐   「ちょっと簡単だけど、海の底にもぐって
       いく感じがでているからいいかな。」
栗原    「あとは出たとこで、お話を始めましょう。
       浦島太郎の役はおにいさん。」
おにいさん 「はーい、主役だからがんばるよー。」
栗原    「竜宮城の乙姫と浦島太郎が助けた亀の役
       はおねえさん。」
おねえさん 「はーい。 」
栗原    「お話の進行は低音担当の関島さん。」
関島    「はーい。 」
栗原    「五十嵐さんは会場のみんなのリーダーを
       お願いします。」
五十嵐   「はーい。みんな僕をよく見てて同じ事を
       やってね。」
栗原    「それじゃあ始めましょう。おっと、忘れ
       てた。浦島太郎のテーマソングも作らな
       くちゃ。リコーダーで伴奏ができる簡単
       なうたがいいなあ。おにいさん、おねが
       いします。」
おにいさん 「うーん、う・ら・し・ま・う・ら・し・
       ま‥‥、あ、浦島の中にはラとシがある
       ね。う・ら・し・ま・う・ら・し・ま‥
       ‥」

       ※おにいさんのセリフに浦島太郎のテー
        マの伴奏がかぶさる。

五十嵐   「みんなも一緒にやってみよう。」

       ※伴奏が少しまわったところで、おにい
        さんが歌いだす。

おにいさん 「(浦島太郎のテーマ)
       うらしまうらしまうらしまたろう
       はまべでみつけたあわれなかめを」

関島    「むかしむかしのある日のこと、浦島太郎
       が浜辺を歩いていると、村の不良達が亀
       をいじめていました。」
おねえさん 「やめてくれよう、いくらおいらにこうら
       があるからってそんなことしたらひどい
       よう、いじめはいけないよう。」
おにいさん 「おや、あれは村の不良達だ。かわいそう
       な亀を助けてやりたいが、私ひとりでは
       不良達にかなわないし‥‥、おまわりさ
       んを呼んで来るのも時間がかかるぞ。パ
       トカーでも通りかかってくれれば良いの
       だが‥‥。」
五十嵐   「そうだ!さっきやったサイレンをやって
       みよう。」

       ※サイレン

おにいさん 「おーい、村の不良ども。おまわりさんが
       きたぞー。あのサイレンが聞こえないか
       あ。」
関島    「亀をいじめていた不良達はあわてました。
       うひゃ、おまわりさんだ、逃げろー、ん、
       待てよ、あのサイレンは救急車だっけ、
       いや、パトカーだっけ、どっちだか忘れ
       ちまった、逃げろー。」
おにいさん 「はっはっはっ。不良どもは逃げて行きお
       ったわ。亀よ、けがはないか?」
おねえさん 「はい、浦島太郎様。おかげで助かりまし
       た。 お礼に竜宮城へ御招待させて下さ
       い。」
おにいさん 「なに、竜宮城とな?」
おねえさん 「はい、海の中にあるすてきな場所です。」
おにいさん 「そうか、なら連れて行ってもらおうか。」
おねえさん 「それでは、私の背中にお乗り下さい。」

      ※浦島太郎のテーマの伴奏始まり、おにい
       さんが歌う。


おにいさん 「(浦島太郎のテーマ)うらしまうらしま
       うらしまたろうたすけたかめにつれられ
       てりゅうぐうじょうへ」
関島    「亀の背中に乗って、浦島太郎は竜宮城を
       めざしました。」
五十嵐   「はい、海の中を泳いでいる時の音楽やっ
       てみよう。」

      ※伴奏が3拍子をきざんで、亀の泳ぎの音楽

おにいさん 「これ、亀よ。」
おねえさん 「はい?浦島様。」
おにいさん 「まだ着かぬのか。息が少し苦しくなって
       きたぞ。」
おねえさん 「はい、もう少し速く泳いでみます。」
五十嵐   「はい、もっと速く泳いでみよう。」

      ※亀の泳ぎの音楽、テンポアップ

おにいさん 「これ、亀よ。」
おねえさん 「はい?浦島様。」
おにいさん 「まだ着かぬのか。息がずいぶん苦しくな
       ってきたぞ。」
おねえさん 「はい、もっと速く泳いでみます。」
五十嵐   「はい、もっともっと速く泳いでみよう。」

      ※亀の泳ぎの音楽、さらにテンポアップ

おにいさん 「これ、亀よ。」
おねえさん 「はい?浦島様。」
おにいさん 「まだ着かぬのか。もう息がもたん。」
おねえさん 「はい、最高速度で泳ぎます。」
五十嵐   「もっと速くー。」

      ※亀の泳ぎの音楽、限界の速さ(あるいは
       限界を越えた速さ)

おねえさん 「着きましたー!」
おにいさん 「ふうー。死ぬかと思ったぞ。」
おねえさん 「それでは、私はこれにて。私達のあるじ
       の乙姫様がまいりますので。」
五十嵐   「竜宮城の音楽、いってみようかあ。」

      ※竜宮城の音楽ループ

おねえさん 「私が竜宮城の乙姫です。亀を助けてくれ
       てありがとうございます。」
おにいさん 「うわあ、きれいな人だなあ。いえいえ、
       当然のことをしたまでです。」
おねえさん 「どうかゆっくりしていって下さい。」
関島    「それから浦島太郎は毎日毎日ごちそうを
       食べたり、魚達のおどりをみたり、要す
       るにだらだらとした日々をすごしまし
       た。」
おにいさん 「あーあ、ごちそうも魚達のおどりもあき
       てきたなあ。そろそろ帰りたくなってき
       たぞ。ねえ、乙姫様、そろそろ村に帰り
       たいんだけどなあ。あの亀を呼んできて
       くれませんかあ。」
おねえさん 「もう少しゆっくりしていってはいかがで
       すか。」
おにいさん 「いやいや、もう充分です。そろそろ帰り
       ます。 あの亀を呼んできてくださいよ
       お。」
おねえさん 「あの亀だったら、ほらここに。」

      ※竜宮城の音楽ストップ。ボーランのロール。

おにいさん 「うわあー。」
関島    「浦島太郎は驚きました。なんといままで
       乙姫の立っていたところに、あの亀がい
       るではありませんか。」
おにいさん 「あれえ、乙姫さまは?」
おねえさん 「私が乙姫です。いままで浦島様に見せて
       いた人間型の乙姫は仮の姿。あの浜辺で
       浦島様に助けられた亀が乙姫の本当の姿
       なのです。時々ああやって人間界に遊び
       に行っていたのですわ。 」 おにいさん
       「ひえー、浦島びっくり。」
おねえさん 「だって、こんな海の底で人間が暮らして
       いたら変でしょ。浦島様、乙姫はあの日
       以来浦島様に心をうばわれてしまいまし
       た。私はもう浦島様にメロメロなのです。
       浦島様も亀になって、私と一緒に竜宮城
       で暮らしましょう。」
おにいさん 「いやいや私は亀より人間の方がいいので
       すが‥‥。」
おねえさん 「鶴は千年、亀は万年と申すではありませ
       んか。ここで私と共に一万
       年もすごすのは素敵だと思いませんこ
       と?」
おにいさん 「いやいや、それにはおよびません。そろ
       そろ帰ろうかなあっと。」
おねえさん 「きぃー、くやしい。でも、ただでは帰し
       ませんわ。私とリコーダーで勝負しなさ
       い。音のまねっこ勝負に勝ったら元の浜
       辺に帰してあげます。でも、私が勝った
       らこの竜宮城で亀になって暮らすのです
       よ。」
五十嵐   「音のまねっこ遊びは、さっきやったよね。
       浦島太郎を助けよう!」
おねえさん 「いきますわよ。」

      ※しばし音のまねっこ遊び。この場合、お
       ねえさんが笛を吹いて先行するのが適切
       か。

おにいさん 「よーし、いいぞう。」
おねえさん 「やるわね。かくなる上は必殺技、でたら
       め攻撃!」

      ※おねえさん、でたらめを吹く。

五十嵐   「よーし、みんな、でたらめを吹くんだ!」

      ※でたらめ

おねえさん 「くやしーい。それなら、もーっとでたら
       め攻撃!」

      ※おねえさん、もっとでたらめを吹く。

五十嵐   「みんなーっ、もっとでたらめを吹くんだ
       ー。」

      ※もっとでたらめ

おねえさん 「はあ、はあ、私の負けですわ。約束通り
       もとの浜辺に送り届けましょう。それか
       ら、竜宮城にきた記念におみやげを差し
       上げましょう。この箱は玉手箱といって、
       私から浦島様への愛が詰まっています。
       浦島様の気が変わって、また私に会いた
       くなったら開けて下さいね。」
おにいさん 「よかったあ。さらば竜宮城よ!」
関島    「こうして竜宮城を後にした浦島太郎は、
       もとの浜辺に帰ってきました。」
おにいさん 「なつかしいなあ、さあ、家に帰ろうかな。
       おや、あそこにいるのは村の不良達じゃ
       ないか。」
関島    「村の不良も浦島太郎を見つけて、浦島太
       郎を取り囲みました。 おうおう、こ
       のあいだはよくもじゃましてくれたな。
       あの亀はどこにやったんだよ。」
おにいさん 「いやいや、亀はな、竜宮城の乙姫でな‥
       ‥」
関島    「何をわけのわからないことを言っている
       んだ。さあ、その箱をよこしな。亀の代
       わりにもらっていくぞ。」
おにいさん 「あ、それはだめだよ、乙姫様からもらっ
       た玉手箱だよ。」
関島    「よーし、開けてみようぜ、何が出てくる
       かな、そーれ。」
五十嵐   「玉手箱の音だ!」

      ※玉手箱の音

おにいさん 「ああー!?」
関島    「村の不良達が玉手箱を開けると、中から
       もくもくと白い煙が出てきました。よう
       やく煙がおさまって浦島太郎が村の不良
       達を見ると、何と不良達は亀の姿になっ
       ているではありませんか。」
おにいさん 「そうか、私に会いたくなったら開けて、
       と乙姫が言っていたのは、こういうこと
       だったんだな。しかし、私の代わりに不
       良達が亀になってしまったか。はっはっ
       はっ、これで村も静かになるわい。ま、
       亀は万年生きるからな、あながち不幸と
       も言えまいて。」

      ※浦島太郎のテーマ

おにいさん 「(浦島太郎のテーマ)うらしまうらしま
       うらしまたろうおしまい!」

おにいさん 「やったー。」
おねえさん 「大成功!」
五十嵐   「いやあ、面白かったねえ。みんな、いろ
       いろなお話に音楽をつけて遊んでみてね。
       それでは、最後に栗コーダーカルテット
       にもう1曲演奏してもらいましょう。」

      ※栗コーダーカルテットの演奏

[link:32] 2001年11月28日(水) 03:07


2001年11月29日(木)回文

 イカ墨のクッキー、リフトにもチップやるさ。猿、ガマがクッキーかっさらうよ。「キキー!」「危機よ」裏サッカー、キックが曲がるさ。猿やプッチモニとフリーキックのミスかい。

(解説)
 裏サッカーって知ってるかい?知らないよな。秘密のスポーツだもんな。毎年誰もいない真夏のスキー場で開かれるんだぜ。その日だけはこっそりリフトを動かしてな。今年はアイドルチームと山の動物チームで試合が行なわれたのさ。プッチモニも出てたぜ。見ることが出来るのは会員だけ。製材界の要人が多いんだぜ。俺も会員だ。木こりだからな。で、真夏の暑い日にリフトに乗って見に行ったのさ。リフトは無料だけど、リフト係にチップをやったぜ。要人だからな。珍しいイカ墨のクッキーをリフト係に手渡したのさ。すると「キキー」という鳴き声と共に猿、そしてガマが現われて、あっというまにクッキーを持ってっちまった。あいつら山の動物チームの選手じゃねえか。腹をたてた俺はアイドルチームに飛び入りだ。アイドル達も歓迎してくれたぜ。なにしろアイドルチームの弁当も猿が持って行っちまったからな。「みんな、これは危機よ。試合に勝って食料を取り戻しましょう。」しかし、裏サッカーはなかなか手強いぜ。ボールに特殊な細工がしてあって、キックしてもまっすぐ飛ばないようにしてあるんだ。猿もプッチモニも俺も、せっかくフリーキックのチャンスがやってきてもはずしまくっていたな。

[link:33] 2001年11月29日(木) 15:07


2001年12月27日(木)24日アンコール曲

 サンタでなくちゃ意味が無い

1番

川口「クリスマスは何します?」
全員「クリスマスは何します?」
川口「プレゼントを贈ります」
全員「プレゼントを贈ります」

贈ります クリスマス

MUST BE SANTA MUST BE SANTA
MUST BE SANTA サンタ苦労

2番

栗原「プレゼントで悩みます」
全員「プレゼントで悩みます」
栗原「プレゼントは餅つきます」
全員「プレゼントは餅つきます」

贈ります クリスマス 悩みます 餅つきます

MUST BE SANTA MUST BE SANTA
MUST BE SANTA サンタ苦労

3番

近藤「クリスマスにくどきます」
全員「クリスマスにくどきます」
近藤「くどいてみたならホッホッホー」
全員「くどいてみたならホッホッホー」

贈ります クリスマス 悩みます 餅つきます
くどきます ホッホッホー

MUST BE SANTA MUST BE SANTA
MUST BE SANTA サンタ苦労

4番

Rom 「サンタのことでは苦労する」
全員「サンタのことでは苦労する」
Rom 「あんたのことでは苦労する」
全員「あんたのことでは苦労する」

贈ります クリスマス 悩みます 餅つきます
くどきます ホッホッホー サンタ苦労 あんた苦労

MUST BE SANTA MUST BE SANTA
MUST BE SANTA サンタ苦労

5番

斉藤「クリスマスが終わります」
全員「クリスマスが終わります」
斉藤「サンタがあんたと踊ります」
全員「サンタがあんたと踊ります」

贈ります クリスマス 悩みます 餅つきます
くどきます ホッホッホー サンタ苦労 あんた苦労
終わります 踊ります

MUST BE SANTA MUST BE SANTA
MUST BE SANTA サンタ苦労

MUST BE SANTA MUST BE SANTA
MUST BE SANTA サンタ苦労

[link:34] 2001年12月27日(木) 02:48


2002年01月03日(木)2001年のデータ

 あけましておめでとうございます。このコーナーも書いたり書かなかったりですが、まあのんびりいきましょう。

 さて、なんとなく去年の自分の活動を数えてみました。自分の活動をテキストデータベース化しているので、集計は楽なのです。

◎ライブ全130本
<ライブの多かったベスト5>
栗コーダーカルテット 37本
こまっちゃクレズマ31本
酒井俊18本
シカラムータ11本
ふいご4本

◎リハーサル全64本
<よく使ったスタジオ>
SEISHOスタジオを使った回数は29回

◎レコーディングのためにスタジオに入っていた日は54日
参加アルバム14枚(栗コーダ−率64%、ライブアルバムは入っていません)
CM11本(栗コーダ−率55%)
サントラ6本(栗コーダ−率92%)

◎ミーティングだけした日は20日(栗コーダ−率65%)

 去年はあまり働いていないですね‥‥。

 今年の目標としては、あまり演奏に片寄らない活動ができたらと思います。

[link:35] 2002年01月03日(木) 23:58


2002年01月07日(月)2001年のベストアルバム

 音楽雑誌に昨年のベストアルバムが載りはじめているが、評論家達は僕の選んだベストアルバムを選ばなかった。僕の選んだ2001年のベストアルバムを紹介しよう。

 「KUGE.a very-disco golden greats of kuge yoshio」(Bumblebee Records BBCDE-013)

 ストラーダやさねよしさんのユニットでおなじみの久下さんのソロアルバムだ。それも演奏者は久下さん一人だけのドラムソロのアルバムである。内容の素晴らしさを言葉で伝えられないのが残念だが、とにかく音楽がでかい。エンジニアの内田さん、プロデュースの向島さんも良い仕事をしている。ヘッドホンで大音量で聞いて欲しいと久下さんは言っていたが、スピーカーで小音量で聞いても気持ちが良かった。とにかくすべての音楽好きの人におすすめのアルバムだ。なお、サンプリングは自由とのこと。太っ腹だ。

 それにしても、久下さんのアルバム、それとベストアルバムを競った中尾勘二の「ヨカシキ」、そして2000年発売の桜井芳樹のソロプロジェクト「ロンサムストリング」、とストラーダの僕以外のメンバーは3人とも素晴らしいソロアルバムを発表している。自分も作りたいとは思うのだが、ここまで長く溜めてしまったためにどうしても構えてしまう。一枚出しさえすれば、あとは毎月でも作れそうな気はするのだが。まずは年内着手を今年の目標にしてみよう。

[link:36] 2002年01月07日(月) 23:41


2002年02月10日(日)大原裕日記

文中の敬称は省略させていただきました。

===================================================================
プロローグ

1月11日 磔磔でこまっちゃクレズマに飛び入りゲスト出演。が、ホテルで寝過ごして最初の出番に現われず、2ステージ目のみの参加。道に迷って打ち上げにも現われず。

1月14日 江古田バディで鈴木常吉とデュオ。しかし、鈴木常吉に連絡したのが当日の夜7時だった。しかも泥酔していたため、鈴木常吉が到着する前にライブは中止になる。

1月15日 大原裕オクテット3日連続ライブの初日、江古田バディ。しかし、連絡不足で8人そろった日は無かった。しかも4時入りのところ6時半頃やってくる。

1月16日 関内エアジン。昼間大原から電話がかかってきた。「実はな、今日のライブ、エアジンだったんや。」‥‥知ってます。大原は今日がPIT-INNだと思っていたらしい。メンバーが誰も知らない曲を本番中に突然やる。

1月17日 新宿PIT-INN。休憩時間に吐く。それでも後半のステージで飲み続けていた。ひとりだけ別の曲を吹いていた。
===================================================================

2月7日

 名古屋のTOKUZOで大原裕セクステットのライブ。朝9時前に家を出て10時10分に東京駅を出る名古屋行きのハイウェイバスに乗る。途中池袋で帰りの深夜バスの指定券を買う。大原に交通費は出すので新幹線より安いバスで来て欲しいと言われていたからだ。午後4時頃TOKUZOに着く。一応4時入りと大原に言われていた。到着してすぐに、メンバー変更の連絡が大原から店にあったか聞いてみたが、連絡は無いとのこと。1月のライブの時に、つの犬と松永は名古屋の話を聞いていないことが発覚して、つの犬の代わりのドラマーを探すことと、TOKUZOに連絡することを大原は約束していたのだが。店にはとりあえず事情を話し、大原が来るまで今日の編成がわからないことを伝える。まもなく中尾と桜井がやってくるが、大原は来ない。12月にTOKUZOでやった大原のブラスバンドのライブの時にも本番直前に来たということを店の人に聞いたので、とりあえずサウンドチェックを3人でする。ドラマーが来ないことも想定して、中尾がドラムを叩いてチェック。夕方6時に開場、3人で食事に出る。6時40分頃TOKUZOに戻るが、まだ大原は来ていない。開演の時間が近づいているので、30分押しにしてもらう。それでも大原が到着しなかった時のために、大原が来るまでのつなぎで3人で演奏しようかという話になり、3曲くらいならできるかなと曲をリストアップする。7時を過ぎて、TOKUZOのPAの碓井が大原の大阪の実家に電話してみる。お母さんが出て、大原は9日に名古屋のライブがあると言っていた、今日は引っ越しをしている、とのこと。ということは、今日は3人だけだ。あわてて店長の森田と対策を検討する。結果、3人でライブをやることにし、帰るお客さんには料金を払い戻す、そして聞いてくれるお客さんは3000円のチャージを2500円にする、ということにした。問題はぶっつけ本番で2ステージできるだけの曲があるかということ。中尾はクラリネットしか持ってきていないし、桜井はエレキのみ。ストラーダの曲でも演奏可能な曲は限られる。しかも久しくストラーダのライブをやっていないので楽譜がないと思いだせない曲が多い。せめてリハができれば‥‥。そこで、ストラーダの曲、大原の曲、1月下旬に桜井と僕のデュオでやった曲など演奏可能な曲をフルにやり、足りない分はそれぞれソロを1曲すつやって、何とか間に合わせた。お客さんはほとんど残ってくれてたようだ。感謝。そして暖かい対応をしてくれたTOKUZOにも感謝。ライブ後、店長のおごりのビールを急いで飲んで、11時名古屋発の夜行バスに乗る。熟睡してしまって、東京駅で運転手に起こされたのが恥ずかしかった。

「僕の身上は『でたらめ』ですから。これでいいのだ。」(大原裕)

[link:37] 2002年02月10日(日) 11:13


2002年03月15日(金)まね

 昨日のシカラムータのライブでの立ち位置を、デートコースのまねをして、ツインドラムのまん中にしてみた。すると、右の耳と左の耳から全く違う音楽が聞こえてきた。これだとPANを振り過ぎだ。10時と2時くらいの振り方になると良いのだが。

[link:38] 2002年03月15日(金) 23:54


2002年05月27日(月)横浜ジャズプロムナード顛末記

   横浜ジャズプロムナードに出演した時の事を書いておこうと思う。

5月25日

 本日はランドマークホールにて、大原裕ユニットとシカラムータで横浜ジャズプロムナードに出演する。大原裕ユニットの本番は12:00。本番が近くなってメンバーがぽつりぽつりと集まっても大原が来ない。すると、ジャズプロムナードの責任者から電話。大原は昨日横浜のホテルに入っているのは確かだが、今どこにいるのかつかまらない、12:00になったら大原がいなくても始めて欲しい、ちなみに大原は昨日京都駅にトロンボーンを忘れて来たので主催者側で中尾にトロンボーンを持ってきてくれるように頼んだ、とのこと。まもなく中尾がトロンボーンを持って登場。定時を15分ほど押して開演。いつ大原が来ても良いようにステージ中央にトロンボーンをセッティングしておく。とりあえず演奏可能な曲も多くないので、1曲1曲を長めにやることにする。1曲目、ドラムソロから始まって、テーマ、ソロとゆるやかに進行。そろそろ終わりのテーマに戻るかというあたりで、客席から怪しい男がステージによじ登り、舞台中央に歩いて来る。大原だ。トロンボーンを持ったかと思うとそのままトロンボーンソロ。1曲目が終わって何事も無かったかのようにMC。そして4曲ほどやってライブは終了。大原に関してはいろいろあるが、すべて割愛。前回の大原裕日記の反響が大きすぎたので。ただ、大原がぽつりと漏らした一言を書いておく。「世の中のことがわかってきたと思っていたが、全然わかっていないということがわかった。」
 シカラムータのステージまで時間があるので、客席でしばらく他のアーティストのライブを見る。ふちがみとふなとはベースとボーカルのデュオ。この二人はそれぞれ良く知っていて共演もしているのだが、ふちがみとふなとのライブを見たのは初めてだ。ベースラインとメロディーだけのシンプルな編成で美しい音楽を奏でていた。その後にハン・ベニンクのドラムソロを見る。機知とユーモアに富んだソロで飽きさせない。そして何より手が速い。ステージを縦横に駆け巡り、客席を叩き回り、あっという間の50分だった。次の出演のチャンバンドは渋さ知らズ内ユニット。出番前だったのであまり見られなかったが、キーボードの佐々木彩子という人は、得体の知れない才能の持ち主のようだ。
 そして、18:00からシカラムータのステージ。この日はつの犬と吉田達也のツインドラムにゲストで川口義之が加わる豪華編成。しかし、本番前にマネージャーのこぐれの携帯に、「本番に間に合いそうにありません。」というバイオリンの太田からのメッセージが入る。開演時間になり、太田抜きで演奏を始める。2曲目の途中で太田がステージに現われ、セッティングを始める。間奏でメガホンを取り出し、客席におわびのあいさつ。一通り口上が済むと、またセッティングを始める。その後は、いつも通りのシカラムータのステージ。
 というわけで、本日の教訓。

「遅刻をしても、登場の仕方でチャラになる。」

5月26日

 四丁目ばんどでランドマークホールに出演。書くことが何も無いくらいスムーズに進行。酒井俊さんの調子は素晴らしく良くて、満員のお客さんの反応も上々。良いライブでした。
 というわけで、本日の教訓。

「だめなことほど書きやすい。」

[link:39] 2002年05月27日(月) 23:51


2002年06月07日(金)ワールドカップに寄せて

(一行半角78字以上になるウインドウサイズが読み易いと思います)

栗「ワールドカップ始まったねえ。普段あまりスポーツを見ないんだけど、ついつ
い見ちゃうね。」
川「いや、もう大変ですよ、当然全試合ビデオに録画しているしね。」
栗「川口君は前のワールドカップの時はフランスで観戦したんだよね。」
川「今回もチケットがあんなことになっていなければ、日本に来て観戦したかった
んですけどね。」
栗「え、日本に来て?」
川「僕は仕事のある時だけ日本に来ているのです。」
関「でもサッカーって、なんだかまどろっこしいよね。右行って、左行って、また
右行って、左行って、たまーに点が入る。」
川「えー、そこがいいんじゃないですか。バスケみたいにインフレな点の入り方だ
と、1点のありがたみがないしね。」
関「野球くらいがちょうどいいのかな。」
川「それは別ものでしょう。」
関「ケーキは別腹です。」
栗「日本とベルギーの試合みたけどさー、日本って世界的に見てどうなの。なんか
他の試合に比べて日本ベルギー戦はレベルが低い気がしたんだけど。」
関「何だかピリッとしませんでしたね。失敗してもニヤけているし。」
川「これこれ、めったなことを言うもんじゃありません。フーリガンに狙われます
よ。」
栗「それはそうと、近藤君はどうなの。」
近「いや、ワールドカップ見てて思ったんだけど‥‥。」
川「なになに。」
近「スポーツの方が音楽より儲かるかなと。」
栗「そりゃスポーツ選手でもいろいろだし、音楽家でもいろいろでしょう。」
近「でもさあ、スポーツ選手って音楽家で言えばプレイヤーだよね。プレイヤーで
年に何億も稼ぐ人ってあんまりいないんじゃないかな。」
関「音楽で稼いでいる人の場合、印税が収入に占める割合が多いからね。演奏収入
  だけで何億も稼いでいる人は多くはないかもね。」
栗「でもさあ、近藤君、今からスポーツ選手になれる?」
関「む、動きのゆっくりしたスポーツなら、近藤君案外いけるかも。」
川「動きのゆっくりしたスポーツって?‥‥あ、太極拳とかかな。」
近「そこで発想を変えてですね、音楽におけるソングライターのポジションをスポ
ーツで狙うのです。」
栗「それって何だ?」
川「監督じゃたいしたことないし、チームのオーナーかなあ。でも元手がないとね。」
近「いやいや、新しいスポーツを考えるのです。それが人気競技になったら、すご
く儲かるでしょ。」
川「それはどうかなあ。新しいスポーツを考えて、それが一般に定着して、プロが
出てきて、ビジネスになる、人間の一生の間には間に合わないんじゃないかな。」
近「でも、今は情報化時代だし。」
栗「そうだ、インターネット時代だ。」
近「情報の伝わる速度は速いので、一度見たりやったりしたら一生忘れられないく
らい面白いスポーツだったら案外いけると思うのですよ。」
関「新しいスポーツってどんなのかな。」
近「やっぱり球技でしょう。」
川「そうだね、球技だよね、当然。」
栗「でも、今までに無い球技って思いつく?」
近「球技の場合、重要なパラメーターとして球の大きさがあります。」
栗「なるほど、そこから攻めるか。」
川「球の大きさによってスピード感も変わるしね。」
近「やっぱりアポロが月まで行く時代ですから、スピード感はあった方が良いでし
ょう。」
栗「ちょっと時代考証が違うような‥‥。」
川「一番小さなボールを使うのって卓球か。」
関「卓球の球の大きさでサッカーのコートの広さだったら恐ろしい球技ができます
ね。」
栗「でもさあ、あんまり球が小さいとテレビ映えしないんじゃないかな。」
川「いや、卓球はテレビで見ても面白いですよ。あの速さがね。」
栗「速ければいいってものじゃないでしょう。球が見えなくちゃ意味ないよ。」
川「あの速さは追うものじゃないんですよ、目で味わう快楽なんです。」
栗「でも実際卓球っていまいちマイナーだよね。スタープレーヤーもいないし。」
川「愛ちゃんがいるじゃないですか。」
栗「愛ちゃんはさあ、あれでいいのかなあ。人生賭けるには卓球の球じゃ軽すぎな
  いか。」
川「俺はうらやましいけどなあ、あの生き方。サックスだけに人生賭けてみたい
  よ。」
近「まあまあ。実は、ひとつアイデアがあります。」
栗「おっ、先に言ってくれよ。」
近「球の大きさは可変できるパラメーターとするのです。」
関「えっ、球の大きさは自由なの?」
近「野球で赤バットとか青バットがいたみたいに、『デカ球の関島』とか『豆粒の
川口』とかがいるわけです。」
栗「それってどんな球技になるんだろう。しかし、どうでもいいけど今日の近藤君
はたとえが古いね。」
川「どんなルールになるのかな。」
近「そこが問題なのです。って言うか、まだ考えてないけど。大きく分けて、ルー
ルを複雑にするのと単純にするのとありますけど。」
関「ふむ、ギャンブルで言えばカブにするか麻雀にするかだね。」
川「ルールは単純な方がいいよ。絶対。世界を目指すなら、自分の名前が書けない
人でも理解できるくらいのルールにしないと。」
関「む、ちょっと差別的な発言にも聞こえるが、世界を旅している川口君が言うと
説得力があるな。」
栗「いや、僕は麻雀派だね。今の時代に合った、ややこしいルールにしないと。奥
深さが大切だね。」
関「麻雀は点の数え方が謎ですよね。」
川「そうかなあ、単純でしかも奥が深いのがいいんじゃないかなあ。サッカーを見
  てみなよ、単純だよー。」
栗「でもさあ、サッカーにもオフサイドってのがあるでしょう。あのルールだけち
ょっとややこしいけど、オフサイドが無かったらサッカーはきっとつまらない
と思うんだ。」
川「えー、オフサイドなんて別に無くてもサッカーの面白さに関係無いと思うけど。」
栗「いーや、断言するね、オフサイドこそがサッカーの肝だね。サッカーというス
ポーツの唯一の欠点は、オフサイド以外にややこしいルールを作らなかったこ
とだね。もう少しルールを複雑にしておけば、サッカーは世界中に広まったと
思うんだ。」
川「充分広まってますよ。」
近「実は僕も少し考えがあって‥‥。」
栗「お、それを先に言ってくれよ。」
近「それはですね、ロールプレイングゲームのシステムを一部取り入れてはどうか
と。」
栗「ということは、経験値の概念を導入するということ?」
近「そうです。」
川「それは新しいかもしれないね。」
関「あ、球の大きさを可変にするのとぴったり合うね。」
川「え、プレーヤーじゃなくて、ボールがレベルアップするの?」
栗「おお、ボールが成長する球技か。」
近「最初はパチンコ玉くらいのボールを指ではじいていたのが、やがてボールの成
長と共に手で投げ、足で蹴り、最終的には全身で押す。球技の醍醐味が集約さ
れていますね。」
栗「なんだか、すごくいけそうな気がしてきたよ。」
川「ボールの大きさが変わるってのは単純明解でいいよね。」
栗「今までの球技に無い複雑さだと思うよ。」
近「あと考えなくちゃいけないのは、プロチームの作り方なんですけど。」
栗「なんだか今日の近藤君、冴えてるね。」
近「いやいや。だいたいのスポーツにおいて、一般的なファンが応援するチームは
どこですか。」
川「それはやっぱり地元のチームかな。」
栗「普通そうだよね。」
近「そこです。僕は考えたんだけど、それはあまり経済効率が良くないのです。県
とか国とかを離れてひいきのチームを決められるしくみを作らなければなりま
せん。経済効率重視で。しかも、誰もがのめりこめるという。」
関「反ナショナリズムという意味で賛成ですね。」
川「うーん、しかしそれは難しいね。少なくとも宗教と民族はやめといた方が良い
  よね。」
関「イニシャルで世界の人間を26×26=676通りに分類するのは?」
近「それはあまり熱中できないよね。」
川「あんまり決めとかない方がいいのかな。」
関「そこも可変にする?」
川「うん、例えば今だったらやっぱりインドとパキスタンの試合がみたいよね。」
近「おお、それで国際紛争が解決すれば。」
関「でも、サッカーが原因で戦争が起きたこともあるしなあ。」
近「この問題は次までの課題にしておきましょうか。」
栗「ところでさあ、そろそろいい時間なんだけど。」
川「ああ、そうか、リハを始めないとね。」
近「なんかセッティングが終わると安心して休憩しちゃいますな。」
関「やっぱり少しは音を出してから休憩した方がいいよね。」
栗「じゃ、この話の続きは次の休憩の時に。」
近「ルールはもう少し詰めるとして、サッカーで言えばイエローカードにあたるよ
  うな気のきいた小道具や魅力的なコスチュームも考えないと。」
栗「チームの人数も重要だよね。」
川「何か一獲千金が狙えそうになってきたなあ。」
近「ただ、ちょっと気になることが。」
栗「何?」
近「スポーツのルールって著作権あるのかな。」
関「無いよ、たぶん。」

[link:40] 2002年06月07日(金) 18:37


2002年06月17日(月)実は…

 最近ここを更新しない分、スリルのサイトに日記のようなものを書いています。読んでいる人はほとんどいないだろうし、かなり気楽に書いています。

http://www.thethrill.info/
↑この中のどこか

 栗楽屋にはもう少し日常から離れた文章を載せようと思っています。

[link:41] 2002年06月17日(月) 10:51


2002年06月19日(水)回文ギャラリー

 先日加藤千晶さんのライブで加藤さんと回文対決をしたのですが、その時に発表できなかった作品を交えて、いくつか書いてみます。

○こまっちゃクレズマ五態

 こまっちゃクレズマのツアー中に車の中で考えました。そこにいるメンバーの名前を入れた回文を作ったのですが、梅津さんのはちょっと苦しい。

・やい、おおたか。ドイツ語のごつい土方多いや。

・夏。梅津昼間歯にはまるひづめ打つな。

・第二の新井田

・松井いい妻

・紅陽、葉子

○未発表作

 回文対決用に考えて、 当日使わなかったもの。 ひとつめに出てくる中野とは、MANDA-LA2の店長の中野さんではありません。ふたつめはセクハラか。

・イカ食いに行かん、中野?もてたいか?楽しい娘住む石の高い建物か、何階に行くかい?

・たいてい着痩せだし、あの子、体みだらか、この足出せや、きいていた?

○長文

 MANDA-LA2で発表したもの。デミセミクェーバーのボーカリスト、エミ・エレオノーラさんの名前だけお借りしました。エミさんは凄いボーカリストで、一種カリスマと言ってもかまわないと思うのですが、そのエミさんがリハでなぜかコンガを叩きまくって他のメンバーが迷惑している様を描いています。しかし、実際のエミさんは聡明でチャーミングな女性であることをお断わりしておきます。

・仲たがいがち、気が遠のく。大人げないのもかわいいな。昨日も親しいカリスマ
エミがリハに来て、素手でいつもおかず叩くや、頑固なコンガ。役たたず。顔もつ
いでで素敵に張りが見えます。理解したし、もうのきな、いい若者。いなげな遠く
の音がきちがい型かな。


○回文俳句

 長文の俳句を僕が考えると、どんどん意味が希薄になっていく。そこで、考えました。短い中に凝縮した美しさを求めた日本語と言えば俳句です。

・草に似た 那覇の野の花 谷に咲く

・鳴かぬ蝉 森の祈りも 見せぬかな

・馬を今 引きよる良き日 舞を舞う

・港人(みなとびと) 満載秋刀魚 とびと波


○おまけ

・めだとうか 値が張る鋼 買うとだめ

・釧路より、よろしく!
(釧路に行った時作った)

・夜の港へと波乗るよ
(港と波は回文のクリシェのひとつか)

・よく笛吹くよ。

[link:42] 2002年07月09日(火) 01:22


2002年06月22日(土)関島岳郎のヨーロッパ便り2002 その1

 皆さん、お元気ですか?僕は今オーストリアのウィーンを
後にして、同じくオーストリアのヴェルスを目指して移動中
です。シカラムータのヨーロッパツアーは、2000年に1
か月半の長いツアー、2001年にロンドンで単発のライブ
をやりました。今年は6月19日から7月8日までの3週間
弱のツアーです。あまり長いのも大変なので、これくらいの
長さがちょうど良いでしょうか。さて、車の中には大熊、桜
井、坂本、吉田、関島のシカラムータのメンバーとマネージ
ャーのこぐれ。ハンドルを握るのは、ツアーをコーディネイ
トしてくれたイギリス人のポール・フィッシャー。23日の
アムステルダムまで同行してくれます。今乗っている車は以
前ツアーに使ったワゴンより若干大きく、大人7人と機材が
乗っても余裕なのですが、揺れがかなりあります。なかなか
文章を打つのも大変です。
 僕が成田空港をウィーンに発ったのが6月19日。別ツア
ーでスェーデンにいる大熊、坂本、吉田、こぐれはライブの
日にウィーンで合流することになっていて、バイオリンの太
田はアムステルダム以降の参加、よってギターの桜井と二人
だけでやって来ました。成田で飛行機に乗る前に、テューバ
の機内持ちこみでひと悶着。いつものことです。しかし、今
回は少し様子が違っていて、最近本当に機内持ち込みの制限
が強化されたので、行きの便は見逃すが帰りのヨーロッパか
らの便では絶対に持ちこめないだろうと言われてしまいまし
た。帰りのことを考えると、今から憂鬱です。僕のテューバ
は、エアバスやジャンボなら上の棚に乗るのですけれどね。
 ウィーンに着いたのが19日の夕方。主催者が手配してく
れたタクシーでホテルに入りました。西駅のすぐ前という便
利な場所にあるホテルです。チェックインの時、今日は二人
でダブルの部屋だが、明日はシングルになると言われました。
部屋に入ってみると天井が高く二人でもそれほど窮屈ではな
かったのですが、ベッドはダブル仕様。幸い分離できる型だ
ったので、ちょっと離しました。ヨーロッパでは気にしない
ようなのですが、男二人でダブルベッドというのは、あまり
気持ちの良いものでは無いと思うのですが、いかがでしょう
か。
 桜井と食事に行こうということになったのですが、ウィー
ンは初めてでどこが繁華街なのかもわかりません。そういえ
ば、おととし買った「地球の歩き方」を持って来ていたので、
ぱらぱらとウィーンの項をみると、食材市場を発見。そうだ、
うまくて安い店は市場のそばにあるに違いない。築地しかり、
札幌しかり、金沢しかり。というわけで、食材市場のナッシ
ュマルクトに行ってみました。ちなみに「地球の歩き方」は
常に最新刊を用意すべし、とは川口師匠の言葉。地下鉄でウ
ィーンの中心部に行き、オペラ座などを眺めつつ、ナッシュ
マルクトに着いたのが夜8時半頃。そこで気がつきました。
そういえば、築地の飲食店って昼くらいに閉まるよなあ。夜
8時を過ぎても昼間の明るさなので油断していました。ナッ
シュマルクトに着いてみると、飲食店の半分以上は閉まって
いるようでした。しかも、開いている店は「SUSHI」と
書いた看板を掲げた店が多い。それはちょっとなあと思い、
イタリアンフードの店らしきところに入りました。しかし、
店主に勧められたのはクスクス。どうやらチュニジア料理が
メインの店だったようです。とりあえずビールで乾杯して、
クスクスとピザを注文。この日のウィーンはかなり暑かった
のですが、屋外のテーブルで夕暮れ時の風に吹かれてビール
を飲むのは実に気持ちが良かったです。飛行機が早い時間だ
ったので前日寝ないで家を出て、かなり疲れていたのですが、
やっと落ち着きました。
 次の日の昼頃大熊、坂本、吉田、こぐれがスェーデンから
到着。ライブハウスの入りが16時なので、とりあえず一緒
に昼食を食べに出るが、なぜかギリシャ料理の店に。なぜウ
ィーンにきてチュニジア料理やギリシャ料理なのか。さて、
この日ライブをやったSZENEは東京で言えば渋谷クアト
ロくらいの大きさの小屋。特に決まったジャンルは無くいろ
いろな音楽のライブをやっている小屋のようです。ライブ前
に店のオーナーが「今日はあまり客が入らないと思うけど、
楽しくやろうよ。」と。おととしのツアーでは、ほとんどが
フェスティバルへの出演でライブハウスは少なかったのです
が、その数少ないライブハウスがかなりお客が入らなかった
のです。その記憶がよみがえりました。実際この日の入場者
数は20人弱。かなり客席はさびしかったです。しかし、数
少ないお客は楽しんでいってくれた様子。店のオーナーも気
に入ってくれたようです。なにしろ、チャージバックではな
い定ギャラで、ホテルも空港からのタクシーも店持ち。店と
しては大赤字でしょう。さらに楽屋の冷蔵庫にたくさんあっ
たビールは、帰りにはきれいに無くなっているありさま。太
っ腹のオーナーのためにも、いずれ雪辱戦を果たしたいとこ
ろです。ちなみに坂本は初日にしてチェロを壊す熱演。ひび
の入ったチェロを前に坂本は「ガムテープで直します。」
 先ほどアウトバーンのドライブインで、ワールドカップの
ドイツ・アメリカ戦を観戦。このあたりはドイツ文化圏なの
で、皆熱く応援しているかと思えば、余裕の表情。アメリカ
ごときに負けるとは思っていないのでしょう。ヴェルスまで
はウィーンから200km。今日の移動はかなり楽です。旅
はまだ始まったばかりですが、これからも折りをみつけて便
りを送ります。
 それでは、またお会いしましょう。
※文中の敬称は省略してあります。
※僕の能力では、ヨーロッパから掲示板に書き込めないので、
近藤君の力を借りています。

[link:43] 2002年06月22日(土) 09:33


2002年06月24日(月)関島岳郎のヨーロッパ便り2002 その2

 皆さん、 お元気ですか? 僕は今オーストリアのウェルズ
(昨日はヴェルスと書いてしまいました)を後にして、オラ
ンダのアイントホーヘンを目指しています。まだオーストリ
ア国内を走行中で、ドイツを抜けてオランダまでは気が遠く
なるほどの道のりです。
 昨日のウェルズの会場はSchlachthofという倉
庫のようなスペースでした。敷地の中に建物がいくつか並ん
でいて、町の若者のたまり場のような雰囲気です。オーナー
も気のいい人物。しかしここで大問題が。ドイツ盤を2枚リ
リースしているとはいえオーストリアでは無名のシカラムー
タのライブに、この田舎町でお客さんが集まるでしょうか。
案の上開演時刻の20時半になっても会場にはひとりも客が
いません。オーナー氏はライブは21時からにする、と。メ
ンバーは客がゼロだった場合、どうするのか心配し始めまし
た。やがて21時になっても会場には誰もいない。オーナー
氏はライブは21時半からにする、と。オーナー氏はまった
く心配する様子も無くにこにこしています。21時半ななっ
たところで楽屋に来て、あと15分待てと。オーナー氏、口
笛を吹きながらにこにこ歩いていて、ますます心配していな
い様子。21時50分頃、そろそろ始めてくれとオーナー氏。
会場に行くと、お客が10数人。あれ、どこから湧いてきた
んだ。最終的には昨日のウィーンより多かったような気がし
ます。オーナー氏が電話して集めてくれたのかなあ。店のス
ケジュール表で、5日後に渋さ知らズが出演するのを発見。
今回同じ時期にヨーロッパを回っているのですが、オースト
リアの田舎町のライブハウスのスケジュールに日本のバンド
が2つ並んで出ているのは不思議な気分です。
 今日は移動日なのですが、800kmは走るでしょうか。
今夜の宿は24時がチェックインの門限なので、それまでに
到着しなければなりません。朝8時前に宿を出て来ました。
今日はこちらの時間で朝8時半からワールドカップの韓国ス
ペイン戦があって、それをいかに見るかを坂本が考えました。
7:30に出発して、2時間走ったところでドライブインで
45分休憩して後半戦を見る。このあたりの段どりの組み方
は川口君を思い出します。ワールドカップ予選の日本戦とリ
ハがぶつかった時に、川口君が綿密なリハのタイムテーブル
を考えてきてくれましたから。片や人生一曲の音楽家、片や
人生がひとつの旅の旅人、共通項はあるでしょう。ただ、チ
ェックアウトに少し手間がかかり、坂本の設定時刻より出発
が遅れました。チェックアウトで電話を使ったことを申告し
たのですが、フロントのコンピューターに僕の電話の使用時
間が出ません。僕はメールの送受信に電話線を電話機から抜
いて使っていたのですが、どうやらそれだと使用しているこ
とが認識されないようなのです。桜井も僕と同様。フロント
のおばさんはどこかに電話をかけて文句を言ってから、僕と
桜井それぞれに5ユーロを請求。え、どこに何回かけたかも
聞かずに!5ユーロはかなり高いので、値下げ交渉をして、
2ユーロを置いてきました。それにしてもおおざっぱです。
 車はドイツ国境を越えました。先ほどドライブインで無事
ワールドカップの韓国スペイン戦を観戦。延長の後のPK戦
まで見てしまったので、少々休憩が長くなってしまいました。
それにしても今回のワールドカップを見て思うのですが、最
近のサッカーは本当に無法地帯です。相手選手をつかんだり、
蹴ったり、足を引っかけたり。それで審判からのおとがめは
無し。かつてサッカーは紳士のスポーツと言われていたと思
うのですが。攻撃的なのとルールを守らないのは違うでしょ
う。
 それでは、またお会いしましょう。
※文中の敬称は省略してあります。
※僕の能力では、ヨーロッパから掲示板に書き込めないので、
近藤君の力を借りています。

[link:44] 2002年06月24日(月) 11:39


2002年06月25日(火)関島岳郎のヨーロッパ便り2002 その3

 皆さん、お元気ですか?僕は今アムステルダムからアイン
トホーヘンに向けてオランダのフリーウェイを走っています。

 6月22日、ウェルズから長旅の末アイントホーヘンに着
いたのは夜の23時過ぎ。まず、今回のアイントホーヘンで
のライブをブッキングしてくれたアド・ペイネンベルグ氏宅
へ。おととしのツアーの時もお世話になった、アイントホー
ヘン在住のサックス奏者です。ひとしきり再会を喜び、そし
てアドさんが予約してくれたホテルに行きました。明日のラ
イブはアムステルダムなのですが、アムステルダムは宿が高
いのでアイントホーヘンで安宿を探してもらったのです。明
日アムステルダムに泊まった後、アイントホーヘンに戻って
2日間ライブの予定なので、それと同じ宿です。ホテルは1
階が居酒屋で、店内の小さなドアを開けて急な階段を登ると
2階と3階に数部屋ずつ客室のある小さな宿でした。部屋に
入るとベッドが二つと洗面台があるだけ。トイレとシャワー
は共同です。僕と桜井の泊まった部屋は3階で、天井が斜め
になっていて屋根裏部屋の雰囲気。繁華街の中なので、外の
喧騒が聞こえてきます。一番困ったのは電話が無いこと。つ
なげない!後で合流する太田以外の全員がパソコン持参で来
ています。皆電子メール無しで生きられないと言ってもよい
でしょう。そうか、ここにまた2泊。
 翌日アムステルダムへ。途中空港近くで、前夜にアムステ
ルダムに着いたバイオリンの太田と合流。これで今回のメン
バーが全員そろいました。この日はアムステルダム・ルーツ
ミュージックフェスティバルというイベント。ワールドミュ
ージック方面のイベントです。市内の大きな公園に数か所の
ステージがあって、出店も出ていてお祭りのような雰囲気で
した。家族連れのお客さんも多かったです。入場無料でした
から、たまたま公園に来ていた人もいるでしょう。シカラム
ータの演奏したステージは、特設の大きなテントの中。シカ
ラムータの前に演奏したのはChango Spasiuk Orquestaとい
うアルゼンチンのグループ。 シカラムータの次はDanyel
Waroというアフリカの人のグループ。どのグループにも、満
員のお客さんの反応はすごく良かったです。オーストリアの
ライブの動員がかなり低かったですから、やっぱりフェステ
ィバルはいいなあと思いました。演奏後は他のステージを回
り、トルコ音楽、レゲエ、メキシコ先住民の踊りなどをみま
した。
 ここまで書いて、アイントホーヘンに着いて、1日たって
しまいました。今アイントホーヘンのコインランドリーでこ
れを書いています。昨日のライブはBurgerというクラ
ブ。ディナータイムには老若男女の客で賑わっていましたか
ら、レストランなのかもしれません。ライブはお客さんの反
応も上々で、メンバーも楽しく演奏できました。ただ、店が
すごくけむたかったです。
 そういえば、昨日アムステルダムを発つ前に楽器屋のはし
ごをしたのですが、太田、坂本、桜井と歩いていたら、道を
行く人に「オー、シカラムータ!」と声をかけられました。
アムステルダムのフェスティバルでそれなりの印象は残すこ
とができたのでしょう。
 この便りはアドペイネンブルグ氏宅で送信させてもらうこ
とになると思うのですが、明日以降メールの送受信が出来な
くなるかもしれません。僕の使っているコンピュサーブのア
クセスポイントでニフティに乗り入れられるところが、減っ
ているのです。特にドイツのアクセスポイントは全滅です。
デンマークの宿は電話が無いらしいし、そうすると明日以降
まったくつなげなくなるかもしれません。やはりパソコン通
信は時代遅れなようです。次に来る時はノートパソコンを持
ってこないとだめか。
次がいつになるかわかりませんが、またお会いしましょう。
※文中の敬称は省略してあります。
※僕の能力では、ヨーロッパから掲示板に書き込めないので、
近藤君の力を借りています。

[link:45] 2002年06月25日(火) 21:20


2002年06月26日(水)関島岳郎のヨーロッパ便り2002 その4

 皆さん、お元気ですか?僕は今ケルンからデンマークのロ
スキルデを目指して、ドイツのアウトバーンを走行中です。
こちらに来てからずっと天気が良かったのですが、今日の空
はどんよりと曇って今にも雨が降りだしそうです。今日の移
動はおそらく900km以上、何とか降らずにいて欲しいも
のです。

 アイントホーヘンの2日目はKraaij&Balder
というお店。ちょっとアメリカのパブのような雰囲気の店で
す。2年前にもアド・ペイネンブルグ氏がブッキングしてく
れました。小さな店内には立ち見のお客さんもいて賑わって
いました。急なブッキングだったのですが、アドさんとお店
に感謝です。そういえば、アドさんは7月前半日本に来ます。
SIX WINDSというオランダ人4人、アメリカ人1人、
日本人1人のサックス六重奏のバンドです。ソプラニーノか
らバスまで使ったサウンドは、実に美しいです。興味のある
方はぜひ聴きに行ってみて下さい。たしか7月2日が新宿P
IT-INN。磔磔など関西方面も何本かあったと思います。
もしこの日記をu-shiのギャラ子さんが読んでいてくれたら、
栗関連に予定をアップしてくれるとよいのだけど。

 シカラムータのヨーロッパでのエージェントはドイツにあ
る音楽事務所で、そこがツアーを組んでくれます。ただ、そ
こがやってくれるのは、ブッキングしてくれるまで。あとは
ヨーロッパまでの移動やヨーロッパ内の移動、オフ日の宿の
確保など自力でやらなければなりません。ライブのある日の
宿は大体主催者がホテルを取ってくれるからいいのですが、
ドイツのエージェントのブッキングも毎日ライブで埋まって
いる訳ではありません。今回23日のアムステルダムのフェ
スティバルの後は28日のデンマークのロスキルデまで空い
ていました。そうすると、その間の宿泊費などの経費がばか
になりませんので、自分達でライブをブッキングする訳です。
ギャラは安くても、泊まりが確保できれば良い、と。今回は
24、25日のアイントホーヘンをアド氏にお願いしてブッ
キングしてもらいました。26日は、ドラムの吉田の紹介で、
LOFTというお店に出演しました。吉田達也氏はルインズ
等でヨーロッパのツアー経験が豊富で、各地に知り合いも多
いようです。今回初めて一緒にツアーをしましたが、実に旅
慣れた人だと思いました。

 アイントホーヘンからケルンまでは2時間と少し。LOF
Tはビルの4階にある明るいスペースでした。フリーミュー
ジックのライブが多いようですが、ピアノはスタインウェイ
のフルコン、マイクはノイマンやAKGの高級マイク、何と
なく普通のジャズクラブとは雰囲気が違います。今回ブッキ
ングでお世話になったケルン在住の日本人前田氏によると、
オーナーのハンス氏はケルン放送管弦楽団(だったか?)の
フルート奏者とのこと。他での稼ぎを投じてLOFTを維持
しているらしい。確かに儲からないでしょう、この日はチャ
ージを100%バックしてくれましたし。

 この日のお客さんは20人弱。日本を発つ直前にブッキン
グが決まったので、それにしては集まってくれた方でしょう。
前田氏が短い期間で宣伝してくれたようです。ライブ後、そ
れぞれの宿に。吉田、坂本は前田氏の家に、僕と桜井はオー
ナーのハンス氏宅へ、大熊、太田、こぐれはLOFTのスタ
ッフルームに泊まりました。僕は今回のツアーメンバーの中
で一番英語が下手、正直海外での民泊はあまり得意ではあり
ません。もともと口数の多い方では無いのに、非日本語圏の
人と接するとさらに口数が80%減、おそらく無気味な東洋
人と思われていることでしょう。海外で民泊した時はお礼に
自分のCDを置いて来るのですが、今回民泊を想定していな
かったのでおみやげのCDを持ってこなかったのが悔やまれ
ます。ケルン響のフルート奏者に栗コーダーを聴かせてみた
かったです。

 オランダでワールドカップ準決勝の韓国・ドイツ戦を見た
時のことですが、同じヨーロッパ、しかも隣の国でなのでオ
ランダ人はドイツを応援しているかと思っていました。しか
し、どうも皆韓国を応援しているのです。以前からオランダ
人は言葉の端々に反独感情があるような気がしていましたが、
やはりそのようです。これは隣の国故のライバル意識なのか、
それとも第二時世界大戦のしこりがまだ残っているのか。そ
ういえば、アンネ・フランクが隠れていたのは、アムステル
ダムだったなあ。

 車はまだケルンを出発して100kmほど。おそらくハン
ブルグまであと300km。さらに北上して、フェリーで海
峡を渡りデンマークへ。昨日ライブ後にお客さんに明日デン
マークのロスキルデまで車で行くと言ったら、皆びっくりし
ていました。昨日会った人達の話を総合すると12時間くら
いはかかりそうなのですが、どうなることでしょう。今日は
移動日で、明日はロスキルデのロックフェスティバル。北欧
最大のロックフェスティバルです。ロスキルデから声がかか
ったので今回のツアーが実現しました。

 それでは、またお会いしましょう。


※文中の敬称は省略してあります。
※僕の能力では、ヨーロッパから掲示板に書き込めないので、
近藤君の力を借りています。

[link:46] 2002年07月01日(月) 02:33


2002年06月29日(土)関島岳郎のヨーロッパ便り2002 その5

 皆さん、お元気ですか?僕は今デンマークのRoskil
deからドイツのGreifsWaldを目指して、デンマ
ークの高速道路を走っています。道の両側は見渡す限りの麦
畑、土地の起伏はまったくありません。何とも平らな国です。
 6月27日のRoskildeまでの移動は10時間半く
らい。予想より短い時間で、順調なドライブでした。途中フ
ェリーでデンマークへ。短い時間でしたが、船は良いです。
船内にはレストランやカフェ、免税店などがあり、ちょっと
した船旅の気分。船内ではユーロとデンマーク・クローネの
両方が使えました。

 Roskildeに着いて、まず宿へ。町の外、まわり一
面麦畑の中に宿はありました。どうやら農学校のようなもの
らしい。泊まった部屋は寄宿舎なのでしょうか、学生寮とい
った風情。テレビも電話もありません。雰囲気は悪くないの
ですが、これで一泊5000円はちょっと高いなあ。普通ラ
イブの日の宿は主催者が取ってくれますが、Roskild
eは宿も機材も自己負担。ギャラの中で工面しろということ
なのでしょうが、デンマークは物価がとにかく高いです。宿
を出て、食事をしに町に出たのですが、タイ料理屋でグリー
ンカレーが1800円。飲み物もデザートも高い。これは他
に覗いたレストランもそうだったので、全体に物価が高いの
でしょう。タイ料理屋の主人は、「フェスティバルの間は大
忙しだよ。」と笑いが止まらない様子でしたが。

 食事をした後、フェスティバルの会場にチェックイン。全
日有効のパスをもらいました。これはリストバンドの形をし
ていて、ポッチをはめて一度固定したら期間中つけっぱなし
にしていなければならないもの。はずすと再使用ができない
仕組みになっています。海外のフェスティバルはこのタイプ
のパスが多いです。僕はつけっぱなしがうっとおしいので半
固定の状態で使っていたら、この日の帰り際にゲートで注意
され、チェックインコーナーのようなところで固定させられ
てしまいました。会場への出入りの際に、リストバンドを引
っ張って固定してあるかチェックしているのです。このフェ
スティバルは全体にセキュリティーが相当厳しいようです。
しかし、セキュリティーの人に「君はフランス人か?」と何
度も聞かれたのはなぜだろう。ヨーロッパでは、英語を話さ
ないのはフランス人と決まっているのか。

 会場にチェックインした後、事務所で電話回線を借りて順
番にネットに接続。宿に電話が無かったからなのですが、た
ぶん変なやつらと思われたことでしょう。その後会場の中に
入ってみました。さすがに北欧最大のフェスティバルだけあ
って会場は広大で、会場内には6つのステージと無数の出店
や飲食店、テント村などがあります。メインステージではR
ammsteinというバンドが演奏していました。ボーカ
リストの服から火が出たり、ステージから5mほどの火柱が
上がったり、派手な演出で数万人の客を湧かせていました。
別のステージでやっているThe Chemical Bro
thersも見たかったのですが、長旅の後で時間も遅かっ
たので宿に戻りました。ドイツより北なだけあって、日が暮
れるのが遅く時間の感覚が狂ってしまいます。22時半頃で
夕方の雰囲気、24時頃でも西の空はうっすら明るいのです
から。

 翌日、シカラムータの出番は14時45分から。Ball
Roomという名前のテントが演奏会場でした。シカラムー
タの前に演奏していたのはアコーデオンのLelo Nik
aのグループ。バイオリン、ボタンアコーデオン、ツィンバ
ロン、ベースの4人編成のバルカンもの、ジプシーもののグ
ループですが、とにかくうまい。バイオリンもアコーデオン
も歌い方が絶妙で、特にアコーデオンで管楽器のような歌い
方をできる人を初めて聞いたような気がします。また、パー
カッションのたぐいが入っていないのに凄いグルーブ感です。
客席で見ていたのですが、お客さんも相当盛り上がっていて、
この次にやるのはなかなかやりにくいなと思いました。シカ
ラムータでも似た傾向の曲をやっていますし。 Lelo N
ikaの後、簡単なモニターチェックをしてシカラムータの
ステージ。時間がまだ早くてメインステージの催しが始まっ
ていないのも幸いしたのでしょう、5000人キャパのBa
llRoomは満員でした。音圧が高めの曲を中心に1時間
15分、ひさしぶりの大きなステージにテンションも高めの
演奏でした。小さいところは小さいところなりの面白さがあ
りますが、大きなステージはやはり気持ちが良いです。お客
さんも楽しんでくれたようでした。ただ、アンコールの「四
丁目」でアクシデントが起きました。坂本がチェロをマラカ
スのように振っていたら、エンドピンがチェロの中に入って
取れなくなってしまったのです。坂本のエンドピンはかなり
長めに作ってあるので、中で斜めに固定されてなかなか出て
来ません。しかもエンドピンの先端をやすりで削って尖らせ
てあるので、下手に動かすとボディに穴が開きます。実際す
でに2つほどボディ下部に穴が開いていました。このエンド
ピンを抜くのは相当大変だったようで、ガムテープや割りば
しを駆使してエンドピンを取ることができたのはこの数時間
後、病院でのライブの直前でした。

 ライブ後に楽屋で食事をしました。大きなフェスティバル
だけあって、メニューも充実。メインディッシュはビーフス
テーキを選びました。焼き具合はミディアムで。ステーキに
ワイン、ビールなどで気分が良くなってきましたが、この日
はもう一本ライブがあったのです。Roskildeの精神
科の病院でのコンサートです。これは数日前にフェスティバ
ルから急に依頼されたのですが、ギャラも出るようなので即
OKの返事。病院はフィヨルドのそばの広い敷地に多くの建
物が点在していて、とても気持ちの良い場所でした。演奏場
所は食堂のようなところ。お客さんは50人くらいでしょう
か。入院患者を中心に、その家族と職員。入院患者も普通に
普段着を着ていますので、知らずに見たら普通のコンサート
と変わりません。僕が日本で見た精神病院は大体窓に鉄格子
がはまっていましたし、中には相当ひどい病院もあると聞き
ます。Roskildeの精神病院は何というか、とにかく
オープンな雰囲気です。後ろでずっといちゃいちゃしていた
カップルが印象的でした。

 病院でのコンサートの後、フェスティバルの会場に戻りR
ed Hot Chili Peppers、Bauchkl
ang、Televisionのステージをはしご。24:
30頃宿に戻りました。びっくりしたのはオーストリアのB
auchklangといバンド。ボーカリスト6人だけでグ
ルーブ系の音楽をやるのですが、リードボーカル以外の5人
がドラム、ベース、シンセなどのパートを声で演奏。あまり
に見事で最初はカラオケを使っているのかと思いました。イ
コライザーなどのエフェクトも活用しているのでしょうが、
マイクを持った6人の男しかいないステージから生みだされ
る音楽とはとても信じられませんでした。客席も興奮状態で
アンコールの拍手が鳴り止みませんでした。

 会場を歩いていると、いろいろなところで声をかけられま
した。「さっきは見たぜ、グレートなステージをありがとう。」
会場内に東洋人はほとんどいないので目立つのでしょうが、
このように反応がストレートに帰って来るとやはりうれしい
です。

 車は今デンマークからドイツに渡るフェリー乗り場の1k
m手前、フェリーを待つ車の列の中で止まっています。デン
マークに来た時に使ったフェリーの乗り場です。実は今日の
行程を考えると別の町からドイツに出ているフェリーを使う
のが良かったのでそちらに向かったのですが、そのフェリー
は本数が少ない上に予約が必要だったようで、乗れるとした
ら4時間後の船になるだろうと言われて、こちらに回って来
たのです。だいぶ時間をロスしてしまいました。こちらのフ
ェリーは30分おきに出ているのですが、この混みようでは
乗船までまだしばらくかかりそうです。今日の目的地に着く
のは何時になるでしょうか。

 それでは、またお会いしましょう。


※文中の敬称は省略してあります。
※僕の能力では、ヨーロッパから掲示板に書き込めないので、
近藤君の力を借りています。

[link:47] 2002年07月01日(月) 02:38


2002年06月30日(日)関島岳郎のヨーロッパ便り2002 その6

 皆さん、お元気ですか?僕は今ドイツのGreifsWa
ldからベルリンを目指して、ドイツの国道を走っています。
道の両側はあいかわらず麦畑が広がっています。

 昨日はGreifsWaldという町の小さなフェスティ
バルに出演しました。GreifsWaldは旧東ドイツの
北部、ポーランドに近いあたりの町です。前回書いたように
フェリーの混雑などもあって開演時間の1時間後に到着とい
うことになってしまいました。もちろん途中に何度か主催者
と連絡を取っていたので、何とか出番の調整はしてもらえま
した。ちなみに移動中に活躍しているのは、マネージャーの
こぐれがこちらでレンタルした国際携帯電話。仕組みはよく
わからないのですが、ヨーロッパのどの国でも使えるようで
す。レンタル料も無料。しかし、通話料が何と1分350円
だそうです。携帯世代のこぐれは公衆電話があってもつい携
帯を使ってしまうようで、レンタルしてからの総使用時間を
表示させては憂鬱な顔をしています。最近日本の携帯電話で
海外でも使えるサービスが、一部の国を対象に始まったよう
です。早くヨーロッパでも使えるようになると良いのですが。
まあ僕は日本でも携帯持ってませんけどね。

 GreifsWaldのフェスティバルは、公園のなかに
ある古い城壁に囲まれた場所が会場でした。なかなか良い会
場です。出番を遅くしてもらったシカラムータの前に演奏し
ていたのはLecker Sachenというグループ。 チ
ラシに「フォーク・ヒップホップ」と書いてあったのですが、
確かにそのコピー通りの音楽でした。フロントにマンドリン
とベースを手にした2人のボーカル、そしてドラム、3人の
バイオリンとチェロという編成。ドラムとベースのグルーブ
系のリズムにストリングスとマンドリンのケルトっぽいフレ
ーズが乗り、そこに威勢の良いボーカルがからむという音楽。
言葉で書くときわものに聞こえるかもしれませんが、これは
相当良かったです。会場もすごく盛り上がって大ダンス大会
に。 演奏が終わると当然アンコールがかかったのですが、
「まだ次のバンドもあるから」というアナウンスが流れアン
コールは無し。会場はブーイングの嵐でした。これは次にや
るのはやりにくいです。シカラムータのこの日のステージは
30分くらい。時間も短いので、テンポの良い曲だけたて続
けにやりました。変拍子の曲が半分くらいあったので最初は
お客さんものりにくそうでしたが、だんだん盛り上がって演
奏後には「CICALA!」コール。シカラムータの後には
Nakid Ravedというオーストラリアのグループが
落ち着いて繊細なポップスを聴かせました。このグループも
ボーカル、ドラム、ギターにバイオリンとチェロが入った5
人編成。バイオリンとチェロが入ったバンドが3つ続くのも
珍しいかもしれません。

 シカラムータの前に演奏したLecker Sachen
は、2年前のヨーロッパツアーの時にRudolstadt
のフェスティバルでシカラムータを見たそうです。今回は時
間の関係でシカラムータの演奏を見られなくて残念に思って
いたら、シカラムータが遅刻したおかげで見ることができて
良かったとのこと。遅刻もいろいろです。そういえば、この
フェスティバルのシカラムータの担当者もRudolsta
dtでシカラムータを見たそうです。ただし、チェロの火花
しかおぼえていない様子。

 先ほど、アウトバーンのドライブインでワールドカップの
決勝戦を観戦しました。テレビの前に集まったドイツの人々
はじっと静かに観戦していて、「あっ!」とか「うっ!」と
か声を出してうるさかったのはシカラムータの一行でした。

 車はベルリンの市街地に入りました。遠くにアレキサンダ
ープラッツのテレビ塔が見えてきました。ここのところネッ
トに接続できない日が続いていて、この便りも手元に3通ほ
どたまってしまいました。今日から後はずっとドイツですが、
次に送信できるのはいつになることでしょう。

 それでは、またお会いしましょう。


※文中の敬称は省略してあります。
※僕の能力では、ヨーロッパから掲示板に書き込めないので、
近藤君の力を借りています。

[link:48] 2002年07月01日(月) 02:42


2002年07月02日(火)関島岳郎のヨーロッパ便り2002 その7

 皆さん、お元気ですか?僕は今ドイツのベルリンからHa
lleを目指して、激しい雨の中、ドイツのアウトバーンを
走っています。

 ベルリンに着いて、まず宿にチェックイン。ベルリンには
2泊するのですが、1日目はこちらで押えた安宿、2日目は
ライブ会場のCafeZAPATAが取ってくれた宿です。
1日目の宿も安宿とはいえ、天井が高く良い部屋です。ただ、
電話が無いのが残念。宿で落ち着いた後、2年前のツアーで
お世話になったベルリン在住の松並えりかさん宅に皆で遊び
に行きました。さっそく順番に電話を借りてネットに接続。
ドイツ内に僕のつなぐことの出来るコンピュサーブのアクセ
スポイントが無くなったのでアムステルダムのアクセスポイ
ントにつないだところ、メールの受信に30分かかってしま
いました。数日ぶりの接続で大量のメールが溜まっていた上
に、容量の大きなウイルスメールとHTMLメールが数通来
ていたのが原因でしょう。皆さん、よほどのことが無い限り、
メールはテキストメールにしましょうね。あと、ウイルスは
作らないこと。

 次の日の朝、大熊と二人でSFBという放送局のMULT
I Kultiというラジオ番組に出演しました。 この番組
は2年前にも出演して、確かその時は生本番に遅刻するとい
う大物ぶりを発揮してしまったのですが、また出してもらえ
るとはありがたい限り。CDから3曲かけてもらって、生演
奏で大熊とデュオを2曲。今夜のライブのプロモーションと
しては、なかなか良かったでしょう。ただ、スタジオが狭い
ので2人でやりましたが、普段バンド編成でやっている曲を
クラリネットとテューバのデュオでやると、やはりちょっと
寂しいです。

 ラジオ出演の後、1日目のホテルをチェックアウトして2
日目のホテルへ。何と「壁」の目の前です。もうすっかり無
くなったのかと思っていたのですが、残してある場所もあっ
たのですね。「壁」はきっと10mくらいの高さがあって、
絶対越えられない威圧感のあるものだと想像していましたが、
目の前にある壁は3mくらいの高さで、ところどころ接ぎめ
が崩れて隙間が開いていて、何だか貧相なものでした。ほん
の十数年前まで、この壁を越えようとして命を落とした人が
多数いるとは信じられません。

 この日のライブ会場のCafe ZAPATAは、廃墟だ
ったビルの中にあります。このビルは廃墟をアーティスト達
が占拠してカフェやバー、ギャラリーなどを作ったところで、
一種観光名所のようになっています。ただ、2年前に遊びに
来た時よりきれいになっていて、少し廃墟らしさが薄れたよ
うな気がします。とはいえ、やはり雰囲気が良い場所です。
最もベルリンらしい場所のひとつでしょう。本番は夜10時
から。平日にもかかわらず、客席はきれいに埋まっていまし
た。バーカウンターの上に何やら火を吹くオブジェがあって、
1曲終わるたびに火を吹いていたのが印象的です。我らが坂
本弘道も、負けじとばかりにいつもより多めに火花を飛ばし
ていました。

 今朝は11時チェックアウトのところ、11時5分に目が
覚めました。昨日が遅かったからなあ。ホテルに戻ったのが
3時すぎ。ベルリンの夜は遅いようです。その時間でも市電
が動いていたのにはびっくりしました。ホテルに帰ってから、
ふと思いついて2年前に使っていたベルリンのコンピュサー
ブのアクセスポイントにつないでみたら、何とまだ生きてい
ました。コンピュサーブのウェブにはもう載っていないのに。
そうか、昨日30分も国際電話をかける必要は無かったんだ。
 車はHalleに近づいてきました。今日は200kmの
楽な移動です。先ほどまで降っていた雨は止んで、太陽が顔
を出しています。そろそろ川口君に会えそうな予感もしてき
ました。

 それでは、またお会いしましょう。


※文中の敬称は省略してあります。
※僕の能力では、ヨーロッパから掲示板に書き込めないので、
近藤君の力を借りています。

[link:49] 2002年07月02日(火) 23:50


2002年07月05日(金)  関島岳郎のヨーロッパ便り2002 その8

 皆さん、お元気ですか?僕は今ドイツのMarburgか
らBremenを目指して、ドイツの国道を走っています。
今日の走行距離は375km。ライブ前に走る距離としては
やや長めでしょう。

 一昨日はHalleのObjekt5という店でライブ。
外観は建物の半分が廃墟、建物の中は高い天井とこじんまり
したステージにかかる赤いカーテンが何となくアメリカ南部
の芝居小屋のようです。中庭もあって、なんとも良い雰囲気
の店でした。食事もおいしかったです。この日のライブは結
構ラフな演奏、特にインプロの部分は毎日やっているとどう
しても長くなってきます。客席はそこそこ埋まっていました
が、わりと静かなお客さんでした。年令層もやや高めだった
か。日本からの留学生のグループも来ていました。

 昨日のMarburgはKFZというお店。シカラムータ
がドイツ盤を出しているレーベルのある町だけあって、お客
さんもかなり入りました。お客さんの反応も良かったです。
この日は楽屋にケータリングがあったのですが、メインディ
ッシュは野菜と鳥肉の炒め煮とライス。ドイツに入ってから
吉田とこぐれはアイントホーヘンのアジア食材屋で買った本
だしを持ち歩いていて、いろいろなものにふりかけています。
当然今日の料理にも本だし。吉田は勢い余ってヨーグルトに
も本だしをかけていました。隣で食事をしていたPAのエン
ジニアが不思議そうな顔をしていたので、「ジスイズジャパ
ニーズフィッシュブイヨン」と味見をさせたら、ゲラゲラ笑
いだしました。

 ヨーロッパに来てから、気がついたことがひとつ。こちら
のエレベーターには「閉」ボタンがありません。あれを押す
のはせっかちな日本人だけなのか。僕もなるべく「閉」ボタ
ンは押さないようにはしていますが、それでもついつい押し
てしまいます。

 ベルリンを出てから連日の移動とライブ。皆少々疲れてき
ています。しかし、あと2本。もうすぐツアーも終わります。
川口君は登場しないのかな?

 それでは、またお会いしましょう。


※文中の敬称は省略してあります。
※僕の能力では、ヨーロッパから掲示板に書き込めないので、
近藤君の力を借りています。

[link:50] 2002年07月05日(金) 11:49


2002年07月06日(土)  関島岳郎のヨーロッパ便り2002 その9

 皆さん、お元気ですか?僕は今ドイツのBremenから
Duisburgを目指して、ドイツのアウトバーンを走っ
ています。前の席には何と川口君が座っています。やっぱり
川口君は来てくれました。

 Bremenのライブ会場Kulturzentrum
Schlachthofは高い煙突のある古い工場の建物を
利用して作られています。赤いレンガの趣のある建物でした。
何の工場かと思ったら、どうやら牛などの屠殺場だったよう
です。今回も前回も、ヨーロッパで演奏したライブハウスは
工場や倉庫などの古い建物を利用したところが多いです。建
物の耐用年数が長いのでしょうか。

 同時期に渋さ知らズでヨーロッパを回っている川口君が、
7月2日から5日までOFFをもらったのでシカラムータに
遊びに行くかもしれない、という書き込みをシカラムータの
掲示板にしていました。いつ登場するかと待っていたのです
が、この日も本番前になっても現われません。もはや川口神
話も崩壊かと皆で嘆き、本番のステージへ向かいました。し
かし、1ステージ目が終わって楽屋へ戻ると、楽屋の中でデ
ジカメを構えて、戻って来るメンバーを撮影している人物が
います。む、ひげ‥‥、川口君です。楽屋は一気に華やかな
雰囲気に包まれました。ケルンに滞在中の渋さ知らズから一
人離れて、ドイツ国鉄が誇る超特急ICEでブレーメンまで
来てくれたとのこと。さっそく2ステージ目にゲスト参加し
てもらいました。ライブ後は遅くまでホテルの部屋の冷蔵庫
の酒で打ち上げ。やっぱり旅先で川口君に会わないようでは、
真の海外ツアーとは言えないでしょう。

 今日はブレーメンを少し歩いてから出発。ブレーメンは2
回目ですが、古い町並が美しい。もう少しゆっくりしたかっ
たです。川口君から提案のあったBecksビール工場見学
も行きたかったし。川口君はDuisburgまで車で一緒
に行って、そこから鉄道でケルンに戻り、渋さ知らズに合流
するそうです。川口君に会えたおかげで、旅の後半が締まり
ました。長かったツアーも明日のDuisburgのフェス
ティバルで最後となります。

 それでは、またお会いしましょう。


※文中の敬称は省略してあります。
※僕の能力では、ヨーロッパから掲示板に書き込めないので、
近藤君の力を借りています。

[link:51] 2002年07月06日(土) 09:55


2002年07月09日(火)関島岳郎のヨーロッパ便り2002 その10

 皆さん、お元気ですか?僕は今ウィーンから成田に向かうオーストリア航空の飛行機の中にいます。飛行機は日本人の団体で満席。機内では本日付けの日本の朝刊も配られ、昼のNHKのニュースも上映され、ほとんど日本に着いたようなものです。

 一昨日、川口君と共に17:00頃Duisburgに到着しました。Duisburgで出演するのは、2年前のツアーでも演奏したTRAUMZEITというフェスティバルです。会場は2年前と同じ、製鉄工場の廃墟をそのまま利用した公園。会場脇のユースホステルにチェックインした我々は、フェスティバルの受付を済ませ、どこでも入れるアーティストのパスをもらいました。早速ケータリングルームで食事。あれ、川口君、まだ大丈夫なの?今日の深夜3時にケルンを出発なので、まだ大丈夫なんです。なるほど、一緒にタダ飯食おうよ。食事の後、みんなで製鉄所跡のおそらく溶鉱炉だった高い建物に登ってみました。階段は踏み板しか無いので、段と段の間から下が見えます。高さは70mくらいだったか。かなり高度感があって、高所恐怖症の大熊は足がすくんでいました。その後川口君とお別れ。しかし、川口君を駅まで送っていった大熊によると、「駅前にいいビールを飲ませる店があるんです。」と川口君、電車が来るまでの間二人でビールを飲んでいたそうです。あれ、川口君、この町来たことがあったんだ。僕は川口君と別れた後、フェスティバルの会場でJoachim Kuhns Projekt”Zeitgeschehen”とOregonを見てECM漬けになる。

 次の日、朝11時からサウンドチェック。しかし、ホテルのチェックアウトは9時。さすがユースホステルはチェックアウトが早い。サウンドチェック後は今日の宿に移動、これはフェスティバルが取ってくれた四つ星ホテル。このホテル、2年前にも泊まったのですが、その時は朝の出発が早かったので、朝食が食べられなかった。しかし、出発まぎわに食堂に準備されていた朝食は、前回の1ヶ月半のツアーで一番豪華な食事でした。それがちょっと心残りだったので、今回同じ宿に泊まれて良かった。えーと、朝食は何時からですか?ふむ、6時半。待てよ、明日はフランクフルトを午前中に出る飛行機に乗るということは、宿を何時に出るかというと‥‥、む、また朝食が食べられないのか。

 さて、シカラムータのこのツアー最後のステージは、2年前と同じく工場の廃墟の中のステージ。この日の最初はEgschiglenというモンゴルのバンド。馬頭琴や揚琴、打楽器のアンサンブルと歌のグループ。コントラバスのようなベース馬頭琴(?)や白鳥の形をした鳥頭琴(??)なども目をひきましたが、やはりホーミーが一番受けていたようです。シカラムータのステージでも、太田、大熊、坂本は倍音唱法を使っているので、かなり刺激を受けた様子。「太田さん、今日はホーミーやりまくるしかないですね。」と坂本。2番目の出演はYungchen Lhamoというチベット出身の女性歌手。このステージは楽屋にいて見られなかったのですが、アカペラでスピリチュアルな歌を聴かせていたらしい。そして最後がシカラムータ。17:15からの予定が、前の演奏が短かったのか、17:00頃突然司会者に「シカラムータ!」と呼び込まれました。あわてて出ていったためか、前半はちょっとぎくしゃくした演奏だったかもしれません。会場でモンゴルのバンドの人が見ているのを発見した太田は、倍音唱歌をやらずじまい。坂本もそれを受けていつもより控え目なホーミーでした。しかし、坂本はこの日、新しいチェロの演奏法を本番中に発見。他のメンバーもびっくりしました。それがどんなものかは、ここには書かないでおきましょう。いずれライブで見られると思います。ただし、条件の整った場所でないと出来ない奏法なので、いつでも見られるわけではありません。

 この日の本番後にアーティスト写真を撮りました。背景には事欠かない公園ですので。ただし、撮影はこぐれみわ、機材はデジカメ。どんなふうに写ったんでしょう。

 夜は別のステージでMardiGras.BBとWilly Devilleを見ました。MardiGras.BBはニューオリンズスタイルのブラスバンドですが、ボーカルとターンテーブルが入っているのがちょっと変わっています。この手のブラスバンドの中では、今風の音とノリのバンドかも知れません。スーザフォンの低音とリズム感が素晴らしい。Willy Devilleは何の予備知識も無く見たのですが、良かったです。日本では知る人ぞ知る存在なのかもしれません。今回のメンバーで川口君だけが知っていました。パンフレットのアーティスト写真はなにやらドラキュラの扮装をした人物が写っています。実際のステージでもタキシードに長髪に口ひげと吸血鬼、あるいは没落貴族風。バンドを従え、本人は椅子に座って、常に煙草をふかし、シャンパンを飲みながら歌っています。見た目はかなりうさんくさいのですが、音楽はかなり良いです。僕には、アメリカ南部の音楽のミクスチャーにトム・ウェイツの風味が加わったようなものに聞こえました。バンドはパーカッション、ギター、ベース、コーラス2人。音数は少なめ。そして、僕等はWilly Devilleのアンコールが始まる頃に会場から宿に戻り、ツアーは全日程終了しました。

 さて、ヨーロッパに行ったら、日本に帰って来なければなりません。これが一仕事。帰路はばらばらで、まず大熊、太田、吉田、こぐれは車でフランクフルトへ。レンタカーを返した後、大熊はモノノケサミットのフランスツアーに参加するため電車でフランスへ、他の3人は成田へ直行。坂本はデュッセルドルフまで電車で行って、飛行機でベルリンへ。そして、桜井と僕は行きにウィーンから入った関係で、帰りもフランクフルトからウィーン乗り替えで日本に帰ります。他のメンバーより飛行機の時間が早いので、2人だけ鉄道でフランクフルトへ行きました。宿を出てから家まで23時間ほどの行程です。とりあえず今朝は宿を6時頃出発したのですが、駅への到着がちょっと遅れてしまい、予定の電車に乗れませんでした。30分後の列車に乗り、さらにマインツで乗り替え。電車が走っているうちに20分ほど遅れて、フランクフルトにオーストリア空港カウンターに着いたのは出発1時間前くらいだったと思います。飛行機のチェックインをしたら、今度は楽器の心配です。成田で、帰りは絶対機内に持ち込めないだろう、と言われていましたから。結果から言えば、僕にとって検問は5か所くらいありましたが、誰にも何も言われませんでした。フランクフルトからウィーンの便は飛行機が小さくて棚にテューバが載らなかったので、座席でかかえていましたが、それでも何も言われなかったです。まあ今回大丈夫だったから次も大丈夫とは限りません。ハードケース、やっぱり必要だなあ。

 今回のツアーは20日間14公演。必要な移動日以外はだいたいライブで埋まって、効率は悪くなかったと思います。ただ、今回はライブハウスの公演が多かったので、動員や収支で厳しいものもありました。しかし、ライブハウスのオーナーは皆とても喜んでくれて、また来年会おうと言ってくれたのが何より。実際Duisburgのフェスティバルなどは、2年前に続いて声をかけてくれました。いずれベンチャーズのように、1か月ツアーをして1年分稼ぐことが出来たらいいのだけどなあ。

 それでは、またお会いしましょう。

※文中の敬称は省略してあります。
※6月にアップした回文ギャラリーで、載せる過程で一語削れてしまった箇所がありました。つまり、回文になっていないと。ツアー先では何ともできなかったので、家に帰ってから過去ログを地味に修正しました。

[link:52] 2002年07月09日(火) 02:13


2002年07月19日(金)楽屋移転

このたび栗楽屋の移転に伴って、CGIのプログラムもバージョンアップ、いろいろ使い易くなりました。U5さん、ありがとう。写真のアップもしやすくなったので、移転記念に風景写真でも載せてみましょう。使用カメラはオリンパスPEN。

53.jpg 311×440 (original size)

[link:53] 2002年07月20日(土) 00:15


2003年01月01日(水)年頭の反省

 みなさん、あけましておめでとうございます。今年も
いろいろなところでお会いすると思いますが、よろし
くお願いします。

 さて、今日の前に書いたのはいつだ?…7月19日
だ。大反省。スリルのサイトで日記を書いていたとは
言え、これはひどい。最近スリルのサイトを置いてあ
るレンタルサーバーのデータが消える事件があって、
スリルのサイトは現在復旧作業中。今度はこちらで日
記めいたことを書いてみるのもいいかもしれない。と
りあえずこれから帰省するので、東京に戻って来たら
考えよう。

[link:54] 2003年01月01日(水) 15:04


top profile discography schedule blog twitter facebook order other
contact us

Copyright(C)1997- The Kuricorder Quartet All rights reserved.

k-diary script by Office K.

※このページの更新情報はlastmod.txtより取得できます。