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コマンドラインからこんにちは from 関島岳郎:2002-07-09


2002年07月09日(火)関島岳郎のヨーロッパ便り2002 その10

 皆さん、お元気ですか?僕は今ウィーンから成田に向かうオーストリア航空の飛行機の中にいます。飛行機は日本人の団体で満席。機内では本日付けの日本の朝刊も配られ、昼のNHKのニュースも上映され、ほとんど日本に着いたようなものです。

 一昨日、川口君と共に17:00頃Duisburgに到着しました。Duisburgで出演するのは、2年前のツアーでも演奏したTRAUMZEITというフェスティバルです。会場は2年前と同じ、製鉄工場の廃墟をそのまま利用した公園。会場脇のユースホステルにチェックインした我々は、フェスティバルの受付を済ませ、どこでも入れるアーティストのパスをもらいました。早速ケータリングルームで食事。あれ、川口君、まだ大丈夫なの?今日の深夜3時にケルンを出発なので、まだ大丈夫なんです。なるほど、一緒にタダ飯食おうよ。食事の後、みんなで製鉄所跡のおそらく溶鉱炉だった高い建物に登ってみました。階段は踏み板しか無いので、段と段の間から下が見えます。高さは70mくらいだったか。かなり高度感があって、高所恐怖症の大熊は足がすくんでいました。その後川口君とお別れ。しかし、川口君を駅まで送っていった大熊によると、「駅前にいいビールを飲ませる店があるんです。」と川口君、電車が来るまでの間二人でビールを飲んでいたそうです。あれ、川口君、この町来たことがあったんだ。僕は川口君と別れた後、フェスティバルの会場でJoachim Kuhns Projekt”Zeitgeschehen”とOregonを見てECM漬けになる。

 次の日、朝11時からサウンドチェック。しかし、ホテルのチェックアウトは9時。さすがユースホステルはチェックアウトが早い。サウンドチェック後は今日の宿に移動、これはフェスティバルが取ってくれた四つ星ホテル。このホテル、2年前にも泊まったのですが、その時は朝の出発が早かったので、朝食が食べられなかった。しかし、出発まぎわに食堂に準備されていた朝食は、前回の1ヶ月半のツアーで一番豪華な食事でした。それがちょっと心残りだったので、今回同じ宿に泊まれて良かった。えーと、朝食は何時からですか?ふむ、6時半。待てよ、明日はフランクフルトを午前中に出る飛行機に乗るということは、宿を何時に出るかというと‥‥、む、また朝食が食べられないのか。

 さて、シカラムータのこのツアー最後のステージは、2年前と同じく工場の廃墟の中のステージ。この日の最初はEgschiglenというモンゴルのバンド。馬頭琴や揚琴、打楽器のアンサンブルと歌のグループ。コントラバスのようなベース馬頭琴(?)や白鳥の形をした鳥頭琴(??)なども目をひきましたが、やはりホーミーが一番受けていたようです。シカラムータのステージでも、太田、大熊、坂本は倍音唱法を使っているので、かなり刺激を受けた様子。「太田さん、今日はホーミーやりまくるしかないですね。」と坂本。2番目の出演はYungchen Lhamoというチベット出身の女性歌手。このステージは楽屋にいて見られなかったのですが、アカペラでスピリチュアルな歌を聴かせていたらしい。そして最後がシカラムータ。17:15からの予定が、前の演奏が短かったのか、17:00頃突然司会者に「シカラムータ!」と呼び込まれました。あわてて出ていったためか、前半はちょっとぎくしゃくした演奏だったかもしれません。会場でモンゴルのバンドの人が見ているのを発見した太田は、倍音唱歌をやらずじまい。坂本もそれを受けていつもより控え目なホーミーでした。しかし、坂本はこの日、新しいチェロの演奏法を本番中に発見。他のメンバーもびっくりしました。それがどんなものかは、ここには書かないでおきましょう。いずれライブで見られると思います。ただし、条件の整った場所でないと出来ない奏法なので、いつでも見られるわけではありません。

 この日の本番後にアーティスト写真を撮りました。背景には事欠かない公園ですので。ただし、撮影はこぐれみわ、機材はデジカメ。どんなふうに写ったんでしょう。

 夜は別のステージでMardiGras.BBとWilly Devilleを見ました。MardiGras.BBはニューオリンズスタイルのブラスバンドですが、ボーカルとターンテーブルが入っているのがちょっと変わっています。この手のブラスバンドの中では、今風の音とノリのバンドかも知れません。スーザフォンの低音とリズム感が素晴らしい。Willy Devilleは何の予備知識も無く見たのですが、良かったです。日本では知る人ぞ知る存在なのかもしれません。今回のメンバーで川口君だけが知っていました。パンフレットのアーティスト写真はなにやらドラキュラの扮装をした人物が写っています。実際のステージでもタキシードに長髪に口ひげと吸血鬼、あるいは没落貴族風。バンドを従え、本人は椅子に座って、常に煙草をふかし、シャンパンを飲みながら歌っています。見た目はかなりうさんくさいのですが、音楽はかなり良いです。僕には、アメリカ南部の音楽のミクスチャーにトム・ウェイツの風味が加わったようなものに聞こえました。バンドはパーカッション、ギター、ベース、コーラス2人。音数は少なめ。そして、僕等はWilly Devilleのアンコールが始まる頃に会場から宿に戻り、ツアーは全日程終了しました。

 さて、ヨーロッパに行ったら、日本に帰って来なければなりません。これが一仕事。帰路はばらばらで、まず大熊、太田、吉田、こぐれは車でフランクフルトへ。レンタカーを返した後、大熊はモノノケサミットのフランスツアーに参加するため電車でフランスへ、他の3人は成田へ直行。坂本はデュッセルドルフまで電車で行って、飛行機でベルリンへ。そして、桜井と僕は行きにウィーンから入った関係で、帰りもフランクフルトからウィーン乗り替えで日本に帰ります。他のメンバーより飛行機の時間が早いので、2人だけ鉄道でフランクフルトへ行きました。宿を出てから家まで23時間ほどの行程です。とりあえず今朝は宿を6時頃出発したのですが、駅への到着がちょっと遅れてしまい、予定の電車に乗れませんでした。30分後の列車に乗り、さらにマインツで乗り替え。電車が走っているうちに20分ほど遅れて、フランクフルトにオーストリア空港カウンターに着いたのは出発1時間前くらいだったと思います。飛行機のチェックインをしたら、今度は楽器の心配です。成田で、帰りは絶対機内に持ち込めないだろう、と言われていましたから。結果から言えば、僕にとって検問は5か所くらいありましたが、誰にも何も言われませんでした。フランクフルトからウィーンの便は飛行機が小さくて棚にテューバが載らなかったので、座席でかかえていましたが、それでも何も言われなかったです。まあ今回大丈夫だったから次も大丈夫とは限りません。ハードケース、やっぱり必要だなあ。

 今回のツアーは20日間14公演。必要な移動日以外はだいたいライブで埋まって、効率は悪くなかったと思います。ただ、今回はライブハウスの公演が多かったので、動員や収支で厳しいものもありました。しかし、ライブハウスのオーナーは皆とても喜んでくれて、また来年会おうと言ってくれたのが何より。実際Duisburgのフェスティバルなどは、2年前に続いて声をかけてくれました。いずれベンチャーズのように、1か月ツアーをして1年分稼ぐことが出来たらいいのだけどなあ。

 それでは、またお会いしましょう。

※文中の敬称は省略してあります。
※6月にアップした回文ギャラリーで、載せる過程で一語削れてしまった箇所がありました。つまり、回文になっていないと。ツアー先では何ともできなかったので、家に帰ってから過去ログを地味に修正しました。

[link:52] 2002年07月09日(火) 02:13


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