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新・のんき大将のごたく from 川口義之


2003年03月02日(日)いいお天気で

なんで更新するよりまずはお出かけ。続きはあとで。
〜外出後〜
でもって、晴れた日は寒くなるのだね。
お気に入りの店でギネスとエーデルピルスのハーフ&ハーフを飲む。
もうすぐセント・パトリックス・デイなんだな。
お店で飾り付けをしていたし。
去年はたっぷりギネスを飲んだものです。
で、いろいろ書きたいこともあるのですが、
記録を残すよりも何かしているほうが好きなので
一向に進みませんな。
今は今年の後半の動き方に関して何人かと
相談もしくは相談する予定をだしているところ。
おもしろいことをしていきたいですね。
3月にはいって今年の抱負を書くのもなんだかなあ。
いい30代を締めくくりたいところです。
ソロアルバム作ろうと思ってます。
協力者を募るべきか、独りで全部するべきか。
33才の時も作ろうとして挫折したのですが
今年はなんとか頑張りたいものです。
たぶんそんな気持ちの何割かが、先月発売のコンピレーションと
先日録音したウクレレでビートルズを、というコンピに
反映しているようです。迷惑な話しでもあります。
個人の強いエゴを出す場所は考えないとね。
近藤氏と私は早く自分名義のアルバムを出したほうがいいかもね。
栗コーダ−以外の発表場所が現時点で少ないって点においてね。
わたしはライブは沢山やってるものの参加作品は少ないですから。
例えばふたりでアルバム一枚分くらいの録音を一気にしてしまうのも
悪くないかも。
どうしても栗コーダ−だと、押さえなければいけないハードルがありますから。
結成10年も近い(まだ9年くらいだけど)と
押さえておくべき要素が発生したり。全員の意見をきちんとまとめる
十分なミーティングが必要だったりします。
ひとりの無謀なまでのエネルギーで作るものが魅力的だったりすることも
あるわけで、その両方の良さをどのように合わせ持つかが課題ですね。
ローリング・ストーンズのようにゆったりと長く続けられるといいなあ。
長生きすることも、長く続けることも、どうように大変だと思う。
早く死んだジョンよりもずっと続けているポールを、
しばらく休んでいて帰ってくる人たちよりも、ただただ続けるあがたさんを
目標にがんばりたいと思う昨今です。
そんな意味ではサザンの方たちとかユーミンとかすごいね。
もちろん復活することのエネルギーはいかほどのものか私には
はかりしれないのですけれど。
ボストンみたいに10年に1回アルバムだして
あとは悠々自適ってのもなんだかなあ。
イーグルスやエアロスミスみたいに復活で大儲けみたいなのも
多いですが、エアロスミスは復活あとの曲がかっこいいからいいか。
イーグルスに関しては知らないので申し訳なし。
関係ありませんが海外の歓楽街ではストーンズ、CCR、ドアーズ、
エアロスミス、渋いところではジョン・クーガー・メレンキャンプ
(たぶんこんな名前だったと思う)あとスライド・ギターの白人
(名前ど忘れしました"Bad To The Bone"なんて曲歌ってた人)、
スティーブ・ミラー・バンド、イーグルスあたりが
かかりがちですね。地獄の黙示録を想像してもらえると分かりやすい。
ただここのページでこれを書いてもなんだかなあってとこはあります。
わたしロックとかリズム$ブルースとかが好きなんですよ。
知ってます?
わたし東京来て10年くらいはロックバンドしかしてないんですよ。
不思議でしょ。
今は年に5回くらいしかロックバンドのライブやってませんけど。
こんな文章、
ライオン・メリィさんにはぜひ読んでいてもらいたいとこだが
プレーヤーとかの雑誌でかくべき内容なのか?
何人かのロックファンの方、
励ましのファン・メールでもクダサイ。
そういえば5月の連休あたりに、久しぶりにニュー・オリンズの
ジャズ&ヘリテッジ・フェスティバルを見に行く予定なのですが、
誰か取材原稿とかいらないかなあ。
ここを見ている数少ない音楽業界人の方で興味ある方は連絡ください。
今年もファッツ・ドミノとか見ることができるようです。
C,S&Nとかディランとかも。
そろそろロックンロールのオリジナルをまた見ておかないと
めげそうな気がしまして。
もう後10年もしたらロックンロールを作った人たちは全滅してしまう
かもしてません。それも老衰です。
…わたしは音楽じゃなくてロックが好きなんですかねえ…。
いいかたとしては何でもいいのですが、
ロック、ロックンロール、パンク、ヌーベル・バーグ、
アメリカン・ニュー・シネマ、ジャズ、フォーク・リバイバルなんてのの
起こった頃のエネルギーが好きなんだな。
それ以前ならキュービズムでも印象派でもなんでもいいんだけど。
で、それらを作っていった人たちがいかに生き続けてたかを見ることも
好きなんだな。
時代に反抗した新しいものを作っていった連中が今も生き続ける姿。
たぶん、あがたさんや慶一さんや博文さんや細野さんや久保田さんを
ある距離をもって見ていることも好きなんだな。
五郎さんや高田渡さんのような飄々としたあり方も素敵だと思うし。
さて、ちょいとマイナス思考にもとられそうな書き方はそろそろ止めまして、
栗コーダ−10周年に向けてちゃくちゃくとアイデア練ってますよ、
個人的にですけど。まあ劇団だったらそろそろ小屋を押さえ始めている頃かも
しれないですしねえ。頑張らない、けど流されない程度にやってきたいです。

[link:47] 2003年03月03日(月) 02:52


2003年01月13日(月)akemasita

itumo mojibake sitemasite.
yatto kokoga hirakemasita.
demo nihongo henkanga nigatedesu.
aa konna tosiakede do-mo suimasen.
mousugu kaerimasu.
19 nitino Cobra mo yorosikune!
tadaima atamanonakade hukusyuu sitemasu.

[link:46] 2003年01月13日(月) 04:54


2002年12月26日(木)追悼ジョー・ストラマー

後日落ち着いたら更新します。

45.jpg 260×195 (original size)

朝霧JAMバックステージにて
(何か問題ありましたらすぐに画像削除しますので
関係各位は御連絡ください)

[link:45] 2002年12月26日(木) 00:45


2002年11月21日(木)年内の出国予定はありません

大熊亘、坂本弘道、みわぞうといく香港マカオツアーも無事終わりました。
台湾の劇団との舞台は言葉の障害こそあれ、
楽しく進めていくことができました。
昔から見たいと思っていたマカオグランプリもほんの少しだけれども体感。
機会があったらじっくり滞在して見物したいものです。

マカオの何日目か忘れましたが、ぜったい降らないといわれていた雨が降り
(なにせ野外劇だったのでピンチ)その後から急に寒くなりました。
それまで劇団の人たちは昼間、宿泊地近くの海岸で泳いでいたらしいの
ですがとてもそんな陽気ではなくなり、
舞台の終わる10時くらいには身震いするほど。

暑い、寒いって感覚は不思議だよね。
寒いと思って出向いたロシアはそんなでもなく、暑いと思っていたマカオは
涼しかったわけですが、実際の温度から考えたらロシアのほうが、圧倒的に
寒かったはず。そして戻ってきた日本は寒いです。

僕は寒いところが苦手でして、なにせわたしが生まれた浜松はほとんど
雪が降らない。東京に来てあんまり雪が積もるのでびっくりしました。
幼稚園に通っている頃に一度だけ雪が1センチくらい積もったことがあり、
地球儀っていうんでしたっけ?そんな鉄で出来たおっきな遊技に雪が
積もっているのが記憶に強く残っています。
昔の新聞で調べたらその日がいつだったのかわかるんだろうなあ。
ここ10年、20年の記憶は薄れてきていますが、
こどもの頃の記憶はわりと鮮明に残ってますね。

中学のバスケット部が市内大会で優勝して、県西部地区大会も優勝、
県大会で負けた帰りに、これでもう練習がなくなるのかあ?なんて
全然実感がわかなかったときの青い空とか。

高校で野球部が甲子園大会に初出場したとき、いやその県大会の準決勝
くらいの時に大雨が降ってずぶ濡れで学校に帰って来た時のこととか。

浜松の凧上げ祭りっていう大きなお祭りで、屋台(一般的にいう山車)
に乗って締め太鼓叩いたりその稽古をしたり。

家の縁側でハモニカでアニメのメロディを 探り吹きしたり。

中学の音楽のテストでイエスタデイらしきものをギターで弾いたり。
やはり音楽のテストでイルカのなごり雪うたったり。(苦笑)


なんでこんなこと書いてるかっていうと、指輪ホテルのリハのかえりに
寄ったブック・オフで江角マキコのエッセイ兼写真集みたいなものがあって
ちょっと斜読みしてたら部活のことがかかれてて思い出したってとこ。

あと子供のころによんだジョージ秋山のデロリンマン( S40開始)や
デビルマンや釘師さぶやん(包丁人味平のプロトタイプね)も同時に
発見して斜読みしたことも影響してます。

彼女の場合は予想通りバレー部だったのだが。
今考えると謎だよなあ、あの勝つことが素晴らしいっていうはっきりした
価値観。わたしが今、勝ち負けに極力関係ないところに居たいのは
この当時の反動だと思う。それ以外でも負けず嫌いだったしねえ。

自分の中の、他を押し退けてでも勝ちたいっていう根の部分がまだ残って
いるとしたら塩酸ででも溶かしてしまいたいですねえ。

勝ち負け、優越感、そんなものが溢れているアメリカ的考え方は終わって
しまわないかなあ。イルカは頭がいいから可哀想?どういうこと?

草花も牛もブタもイルカも犬も等価に考えたい。つまり余分に食べない。
無駄にしない。ありがたいと思って食べる。それだけが重要だと思う。

はなしはとりとめもなくズレていったが、少々掲示板を整えることで
疲れてしまったので、こんなどうでもいい感じもありでしょう。

[link:44] 2002年11月22日(金) 00:12


2002年10月22日(火)楽しみな日々の始まり

今日から約20日間 はシンガーソングライターのサポートが続きます。
明日のリハはまず、あがた森魚さん。久保田麻琴さんも御一緒します。

いつもそうなのですが、曲ごとに使用する楽器を決めるまでが大変。
スタジオに妙に沢山の楽器を運び込んだり、逆にある程度の読みで、
替わりの楽器を使って軽く演奏してみたり。
それがもっとも楽しい時間だったりもします。
レコーディングのダビングで楽器を選んでる時にも似てるね。

明日はいつにも増して経験のない編成になりそうなので、
瞬発力と豊かな発想が重要。睡眠時間もなるべく多いほうが良いな。

続いて加藤千晶さんのリハ、そしてライブ。
ゲストはなじみの鈴木博文さんだし、なにも問題ないでしょう。
ゆっくりとくつろいだリハを過ごせそうです。
こうやって、ライブごとにメンバーの音が馴染んでいくのって
なんだかちょうどいい。

そしてつづくはライオン・メリィさんのリハ、そしてライブ。
バリ帰りの石川さんと会えるのが楽しみ。

アコギを弾く曲がありまして、指が痛くてござる。
あがたさんでも弾く可能性があるので今日はリハビリしてました。
久しぶりに指先が固くなって候。
爪も切ってみました。わりと本気。

名古屋の集客が気になります。
頼みますよ!来年のツアーの有無はみなさんにかかってます。
内容のおもしろさは厳しいメンバー内からも御墨付き。
(本当に厳しいンですよ物事に対して、この人たちは)

で、学祭やらなにやらの渋さ知らズを挟んで
さねよしいさ子さんのリハ、そしてライブ。
あ、あがたさんのライブが先にあるんだな。
近藤くんはその間にROMさんのライブがあったり。

今回は近藤くんと斉藤哲也くんと3人のサポート。
初めての編成ながらよく一緒になる3人。
僕はともかく二人とも歌ものが得意だからなあ。

4人のシンガーソングライターのサポートを始めるまえに
なんですが、自分は歌もののバックが得意なほうでは
ないと思ってます。といいますか、好きなことなのですが、
能力に長けたみなさんと御一緒する度に、自分の能力の低さに
がっかりしたりしますね。わりと必死です、私。

とくに鍵盤やギター一本でも抜群なサポートをするみなさんに
いつも敬服していたりするのでした。
やっぱりわたしのようなロックあがりは演奏が荒くていけません。
さて精進精進っと。
渋さ知らズみたいなのは得意なんだけどねえ。

フジロックで見た元ちとせさんのサポート陣はよかったなあ。
藤井珠緒さんやメリィさんたちだったんだけどね。
清志郎さんのサポートのパンディエロの人もよかった。
久しぶりに、あの楽器うまくできたらいいなあって感情が
湧きました。買わないけどね、たぶん。でも楽器屋で見かけたら
やばいかも。

おう、そろそろねねえといけねえじかんになっちまった。
からすかーで夜が明けたって日にゃ弱っちゃうからなあ。

追:9月〜10月あたりの怒濤のツアーに関してはいずれ
遡って書き足していきます。いい写真もあるし。

[link:43] 2002年10月22日(火) 03:00


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