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新・のんき大将のごたく from 川口義之


2004年01月08日(木)笛仙人の原稿落とし記念

せめて新年の日付けにしたくて更新してみました。

松の内って七日までだったよねえ?
そのあとで七草がゆを食べるんだよねえ。

と書きはじめたものの、
明日も映画の録音が12時間以上続くと思われるので
この辺で。
でも少しだけ。
出来上がったオケを、映像と合わせて見たところ、
すでにけっこう泣ける。
わたしだけは映画のストーリーすら知らないのだが。

でも全体の流れで泣けるってことも、
あるシーンの持つそこだけにある質感で
感動することもあるよな。

ドクター〜の〜っていう沖縄あたりの島の医者の
はなしもたまたま最終回だけ見たら泣けた。
かってにストーリーを想像しているのか、
はたまた自分の過去の記憶の何かに符合しているのか。

それを見たちょっと前に沖縄の離島に初めて行った
ばかりの時だったしな。
テレビから伝わってくる空気やにおいのようなものを
感じたのもたしかだ。

うれしい、とか悲しいとかいう感情が発生している
「気」が伝わってくるだけで気持ちが伝染する、
そんなこともありそうだ。

先日、香港の地下鉄の中で顔をはらして泣いている
男の子がいて、まわりの人たちが遠巻きに見ていた。
なんだか悲しみのエネルギーがすごい勢いで伝わってきて
自分までかなしくなってきたのには驚いた。

初めて海外旅行をした時。
それは一か月半ほどのアメリカ旅行だったのだが、
帰りの飛行機でやっていたスタンド・バイ・ミーを
字幕なしで見て、多少英語が聞き取れるようになった
錯覚をしていた私は、やはり泣いた。

後日テレビで再放送を見たとき、まったくストーリーを
理解していなかったことにびっくりした。
あの感動はなんだったのか。

さらに余談だが、大学の卒業式の前日に帰ってきた私は、
クラスの友人にモーニングコールを頼んでいた。
朝、電話で起きこされると寝ぼけて「ハロー」と答えていた
自分に狼狽した。
友人は「なにすかしてんだぼけ!」とあきれた声で言った。

おしまい。

[link:70] 2004年01月08日(木) 03:59


2004年01月15日(木)1/18ライブに向けて

14日の午後いっぱい使って加藤千晶女史と打ち合わせをした。
18日のイベントに対しての全体枠の確認もそうだが、
29日の小学校の演奏対策が主な議題。

そう、18日と28日のライブが決まった発端は、
浜松で小学校の教員になった友人からの電話である。
小学校3年生の前で何か演奏できないかと持ちかけられ、
半年近く悩んだ末の結果なのだ。
出せるお金はこれだけと言われて、正直絶句した。
そういった事情により、ほぼ2回の演奏で採算を
とらなくてはならない。

幸い出来事自体を楽しんでもらえる人たちに
集まってもらうことができた。が、しかし
総勢5人の新幹線代、宿泊費を捻り出すのは、
大変なことである。

40歳にしてイベントを始めようと思ったのは、
ひとつにはライブを組まなくてはならない必然。
もうひとつは、自分が誘われていってがっかりする
イベントがいくつか続いたことによる。

出演者には恵まれたし、内容もほぼ安心できる
ところまで詰めた。あとは集客だな。
初めて行うことだけに全く予想が立たない。
この胃が痛くなる感じをくぐり抜けてみんな
ライブをやってきているのだな。
もしくはなにも感じていないかだ。
できることなら、席がちょうどいっぱいくらいに
なるのがうれしいなあ。

71.jpg 280×210 (original size)

1/18、28、29用の綿密な打ち合わせ
お茶の水のコーヒーやケーキのおいしい喫茶にて

[link:71] 2004年01月15日(木) 02:20


2004年01月22日(木)がんばれ俺

とうとう徹夜になってしまった。
昨日から1/18、28、29のイベントに関してのメールを
各所に送り続けているのだが、やっとひと段落したところ。

本当は20日も21日も仕事だったはずなのが飛んだのが
むしろ幸いだったか。
明けて今日の昼には沖縄に飛び渋さのライブツアーとなる。

この時期、気楽に沖縄を満喫している場合ではないのだが、
早くから決まっていただけにまあしょうがない。
そんなわけで寝る間もなくイベントに向け準備を進める。

沖縄から直接名古屋入りするので、自宅でじっくりメールを
書けるのは今が最後のチャンスである。
栗コーダーのライブでは決してしていなかった行為、
というかバンドブームのころ以降、絶対しなかった友人への
ライブのお知らせという微妙な行為を行っている。

バンドブームのころはノルマ付きのライブハウスで、
一人何枚かのチケットを預けられ必死に友人に電話を
かけたものだ。
その友人に「お前ライブの前しか電話こないじゃん」
なんて言われたりしてずいぶん友人を減らしたものだ。

以来ノルマのあるライブは徹底して避けてきた。
今回はノルマはないが責任はある。
責任がある故にこういったライブのお知らせなども
がんばれるってものだ。
メールでできるようになったのもありがたい。
昔は直接電話して、最近どうしてる?から始まって
実はライブがあるんだけど、なんて言っていたかと思うと
気が遠くなるな。

あらあ、松平健と大地真央が…。
早朝からびっくりなニュースを見てしまいました。

[link:72] 2004年01月22日(木) 05:49


2004年03月11日(木)久しぶりに武道館に行ってみた

久しぶりに武道館に行ってみた.。

8日の深夜、UA〜栗コーダーミーティングの後に
コンビニに寄ったら、
ブルータスのデビッド・ボウイ特集が目に留まった。
ぱらぱらっとページをめくったらインタビューと8年ぶり
の来日の記事。
あらいつなんでしょう?横にあったぴあで確認すると
今日明日じゃないですか。
しかも武道館!
わたしの大嫌いなドームコンサートじゃないじゃん!
しかもデビュー40周年とかで昔の曲はやるし、
ディランのツアーに影響受けて
曲数も揃えて気合いが入っているらしい。

で、翌日武道館へ行ったみた。
大量のダフ屋をくぐり抜けて当日券売り場に行くと
普通に売られていた。
で、久しぶりのロックと武道館を堪能。
わたしシリアス・ムーンライト・ツアー
(レッツ・ダンスの頃ね)
の時は武道館に全日通ったものですよ。
いい席が買えなかったか、お金がなかったのか理由は
わすれましたが、
1日だけ見なかった日は武道館の外で聞いていたですよ。
青春って感じですか。
なんてわけでコンサート熱が久しぶりに高まった、
もしくは高まっていた当時を思い出したのでした。

数日後。

5月の連休あたりのスケジュールがはっきりしてきた。
なんとか死守してきたニュー・オリンズ往きの日程だった
が、自分が確実に必要とされる仕事が入ったので、
ここは大人の分別であきらめてみた。
で、もう一度日程を確認し直したところ、
ジャズ・フェスの後半にはなんとか間に合うことと、
出発が大型連休のピークに近づいても、
旅費が2倍ほどにはならないことが判明。
当初の21日出発ならば48000円のところ、
8万から9万円ほどでなんとかなりそうだ。
ううむ、迷う。で、フェスティバルの出演者を確認。

この音楽のお祭りは2週間にわたって行われるのだが、
1週目の金、土、日、2週目の木、金、土、日には
メインのフェアグラウンドで、
それ以外の日もライブハウスやレコード屋さんの
インストアなどでは大変な数の演奏が繰り広げられる。
で、見られなくなった一週目の出演者は

レニー・クラビッツ、BBキングとエタ・ジェイムス、
スティービー・ウィンウッド、
ボニー・レイット、エミルー・ハリス、
ブランフォード・マルサリス、
バックウィート・ザディコ、ギャップ・バンド、
Dr.ジョン、ダーティー・ダズン・ブラス・バンド、
スヌークス・イーグリン、
クラレンス(フロッグマン)ヘンリー、

わりとショックだな。後半の出演だと思っていた大物が
前半に固まっていた。
でもDr.ジョン以下のニュー・オリンズ在住組は
他の日でも見ることはできるはず。
昨年も見てるし。
熟女ふたりはなんとか一度見たいものだと思っていたが、
その他の出演者は過去20年のうちに何回か見てるし、
まあいいか。
レニー・クラビッツは昔、ロサンゼルスで見て以来見て
ないな。3rdアルバムあたりの頃だったかな。
B.B.に関しては豊橋のフェスティバル以来かU2のゲスト
の東京ドーム以来、生では見てないな。
もういい年なので久しぶりに見て元気かどうか
確認したかったが。
なにせウィンウッドさんが出ることになったのは
レイ・チャールズの病気降板の代わりだし。
いつまで伝説のみなさんが現役でいられるのか、
わかりませんからね。

で、2週目は、げげ、
スティーブ・ミラー・バンドでゲストが
ジョン・ハンディか!
いままで見たことのないロックバンドの中では、
J.ガイルズ・バンドと並んでもっとも見たい
ライブバンドですな。

そしてJ.ハンディはチャールズ・ミンガスのバンドにも
参加していたR&B寄りのジャズ・サックス奏者で、
ボーカル物の「ハード・ワーク」なんて
ディスコっぽいヒット曲なんかも出してました。
昔、ロサンゼルス近くのロングビーチのライブハウスまで
見にいったことあるな。

おお、スモーキー・ロビンソンも出る!
かつてR&B〜ソウルなんて音楽ばかり聞いていたときは、
マービン・ゲイとスモーキーが2大アイドルでした。
昔、NHKホールあたりで見たコンサートは最高でしたね。

あとは、
オデッタ、ハリー・コニックJr.、
デイブ・ブルーベック・トリオ、エル・グラン・コンボ、
ロバート・クレイ、ダイアン・リーブス、
ブラインド・ボーイズ・オブ・アラバマ、
ヒュー・マセケラ。
常連さんではアラン・トゥーサン、ファンキー・ミーターズ、
ソニー・ランドルフ、ネヴィル・ブラザーズあたりか。
ううん、迷うなあ。

[link:73] 2004年03月11日(木) 23:38


2004年03月25日(木)桜はまだでした

今日午後1時より、青山葬儀所でいかりやさんの告別式が行われた。2時から近くの麻布十番あたりで仕事だったこともあり、記帳に出かけた。冷たい雨の降る中、わたしを含めた多くのファンが様々な思いで会場に集まっていた。いかりやさんの意志を尊重し、仕事を優先して通夜を欠席した加藤茶さんの弔辞は我々ファンの涙を誘った。一般の人向けの献花台にウッドベースをかかえた、いかりやさんの写真が飾られていたのが印象的だった。ありきたりな言い回しだが、わたしの中の昭和の灯火がまた一つ消えてしまった。音楽家から流れ流れて、でもいつも真剣だったいかりやさんの人生は、通り1本向こうの電信柱の明かりのように、ぼーっと光って、常にわたしの音楽家として生きる支えになっていたように思います。今後わたしの好きなテレビ番組「人生の楽園」を見るのがちょっと辛いです。合掌。

[link:74] 2004年03月25日(木) 01:52


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