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新・のんき大将のごたく from 川口義之


2003年11月04日(火)イベント情報(仮含む)

加藤さんのHPで先を越されてしましましたが、
一応告知しておきます。
以下加藤さんのとこから、かってに転送。

「まず1月は川口(義之)さん企画のライブが
18日下北沢ラ・カーニャ、そして28日に名古屋の
TOKUZOであります。3組ほどの変則ユニットで対決、
というような内容です。楽しそうです。」

てな感じです。どちらも近藤くんが出演予定。
この2つもそうなのですが12月と2月にも1本
づつライブを企画しておりまして、
最近はビジネスマンのように携帯で連絡
とりまくってます。

正式に決まれば12/12に豊橋でイトケンと
桜井さんとトリオというワールドプレミアムな
ライブになりそうです。
明日時間があったら直接豊橋に行って進めてこよう
という算段なのですが、問題は集客ですな。

決まればわたくし30代最後のライブとなります。
名古屋方面の方たちは予定仮キープ希望。

[link:67] 2003年11月04日(火) 03:15


2003年11月06日(木)さすがにしんどいですわ

さまざまな準備に追われて寝る時間が圧倒的に少ない。
いつもこのような時期には忙しくなるのだが、
(つまり旅行前ってことね)
ここんところはイベントを幾つか処理していることが
主な原因だな。
自分内学祭3連戦もきつい。、
1週間で3回東西の往復したな、ほぼ全部徹夜で。

自分内の締めきりが刻々と近づいてきていて、
非常にピンチ。
なんでも初めてのことには時間がかかるが、
それぞれの人物に連絡を取れる時間が限られているのが
実にはがゆい。結局のところ自分以外の力を少々借りな
ければ間に合わないようだ。残念、かつ申し訳無し。

図書館行って本探してる場合じゃなかったな。
今日も徹夜で出かけるはめになりそうだ。

大事な日なのになあ。
今日は昼は観劇、夜はたまたまその場所のごく近くで、
ライブのサポートがある。
最近は30分ほどうたたねをすることでなんとかする術を
学んだ。関島さんと栗原さんの影響だなこりゃ。

大荷物を持って自宅を出発するまで、
あと24時間を切ってしまった。
今日家を出かけなければならない時間までも2時間を
切ったなあ。

笛仙人の原稿の続きもおおよそ書けたが、今とても
そこに気持ちを集中できないので保留。

[link:68] 2003年11月06日(木) 07:02


2003年11月29日(土)おお!なんと文字化けしない

というわけで、今回の海外研修中、初めて栗楽屋が読めました。が、笛仙人の原稿のことも考えるとゆっくり書いてる場合じゃないな。自分のライブの情報を集めることも容易じゃないし。文字化けってどうやったら解消できるんでしょうねえ。書道家っていうソフトを使ってもうまく読めなかったのはなぜでしょうね?海外のネットカフェは読み込みが遅いのが多いのもわりと苦痛です。人と比べたら案外時間に余裕があるとはいえ、ネット接続にとられる時間が多すぎるなあ。まあしょうがないか。海外研修だけど遊びだし…。(いづれ元は取ろうと思ってますけどね、なんらかの方法で)
sate Penang-tou he idou kanryou simasitaga.
musiro Hajyai yorimo net cafe ha ooi na. nihongo kakikomiha dekinai youdesune.
sokudo ha hayai
1024kds tte donna mon nanoka
watasiniha wakarimasenga.
indo-kei osorubesi!
sutekina indo eiga-kei no ongaku no
nagareru net cafe desu.
sorosoro omisega owaru youdesu.
daha.
asu no hue-sennin de oai simasyou.

[link:69] 2003年11月30日(日) 01:47


2004年01月08日(木)笛仙人の原稿落とし記念

せめて新年の日付けにしたくて更新してみました。

松の内って七日までだったよねえ?
そのあとで七草がゆを食べるんだよねえ。

と書きはじめたものの、
明日も映画の録音が12時間以上続くと思われるので
この辺で。
でも少しだけ。
出来上がったオケを、映像と合わせて見たところ、
すでにけっこう泣ける。
わたしだけは映画のストーリーすら知らないのだが。

でも全体の流れで泣けるってことも、
あるシーンの持つそこだけにある質感で
感動することもあるよな。

ドクター〜の〜っていう沖縄あたりの島の医者の
はなしもたまたま最終回だけ見たら泣けた。
かってにストーリーを想像しているのか、
はたまた自分の過去の記憶の何かに符合しているのか。

それを見たちょっと前に沖縄の離島に初めて行った
ばかりの時だったしな。
テレビから伝わってくる空気やにおいのようなものを
感じたのもたしかだ。

うれしい、とか悲しいとかいう感情が発生している
「気」が伝わってくるだけで気持ちが伝染する、
そんなこともありそうだ。

先日、香港の地下鉄の中で顔をはらして泣いている
男の子がいて、まわりの人たちが遠巻きに見ていた。
なんだか悲しみのエネルギーがすごい勢いで伝わってきて
自分までかなしくなってきたのには驚いた。

初めて海外旅行をした時。
それは一か月半ほどのアメリカ旅行だったのだが、
帰りの飛行機でやっていたスタンド・バイ・ミーを
字幕なしで見て、多少英語が聞き取れるようになった
錯覚をしていた私は、やはり泣いた。

後日テレビで再放送を見たとき、まったくストーリーを
理解していなかったことにびっくりした。
あの感動はなんだったのか。

さらに余談だが、大学の卒業式の前日に帰ってきた私は、
クラスの友人にモーニングコールを頼んでいた。
朝、電話で起きこされると寝ぼけて「ハロー」と答えていた
自分に狼狽した。
友人は「なにすかしてんだぼけ!」とあきれた声で言った。

おしまい。

[link:70] 2004年01月08日(木) 03:59


2004年01月15日(木)1/18ライブに向けて

14日の午後いっぱい使って加藤千晶女史と打ち合わせをした。
18日のイベントに対しての全体枠の確認もそうだが、
29日の小学校の演奏対策が主な議題。

そう、18日と28日のライブが決まった発端は、
浜松で小学校の教員になった友人からの電話である。
小学校3年生の前で何か演奏できないかと持ちかけられ、
半年近く悩んだ末の結果なのだ。
出せるお金はこれだけと言われて、正直絶句した。
そういった事情により、ほぼ2回の演奏で採算を
とらなくてはならない。

幸い出来事自体を楽しんでもらえる人たちに
集まってもらうことができた。が、しかし
総勢5人の新幹線代、宿泊費を捻り出すのは、
大変なことである。

40歳にしてイベントを始めようと思ったのは、
ひとつにはライブを組まなくてはならない必然。
もうひとつは、自分が誘われていってがっかりする
イベントがいくつか続いたことによる。

出演者には恵まれたし、内容もほぼ安心できる
ところまで詰めた。あとは集客だな。
初めて行うことだけに全く予想が立たない。
この胃が痛くなる感じをくぐり抜けてみんな
ライブをやってきているのだな。
もしくはなにも感じていないかだ。
できることなら、席がちょうどいっぱいくらいに
なるのがうれしいなあ。

71.jpg 280×210 (original size)

1/18、28、29用の綿密な打ち合わせ
お茶の水のコーヒーやケーキのおいしい喫茶にて

[link:71] 2004年01月15日(木) 02:20


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