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新・のんき大将のごたく from 川口義之


2002年06月12日(水)梅雨入りしたのかなあ…サッカー見たいなあ…

栗原さん、今頃は頑張ってる最中でしょうね。
梅雨入りで良い雲の見られる日も増えるのか、それとも減るのか?
わたしは飛行機の上から見る雲が大好きであります。
とくにまだ街並が見えるくらいの高さで飛行機が飛んでいる時、
綿菓子のようにふわふわ浮いている雲や、
夕焼けや朝焼けのころ、一面に敷き詰められた雲に光る赤。

どこの街にいても夕焼けはいいね。
旅に出かけるようになって身に付いた習慣がいくつかあって、
まず高いところに登って街を俯瞰。
夕焼けのベスト・ビューポイントを探す。
おいしい飲み物、食べ物を探す。
絵やら建物やらを見たりする。
たいていの人も旅行中しかそんなことしないよね。

逆転すると、それをしている時はどこにいても旅行気分になってしまう。
新宿で高層ビル街あたりをふらふらしてるとき、特にそんな感じがする。
しかし東京って巨大観光地だよなあ。
なにかしたいことが思い立ったら小一時間以内に現場に到着。
わたしはそんな所に住みながら、べつになにをするでもなく、
いろんな可能性を想像するのが好きです。

旅行中もガイドブックやタウン情報誌、ぴあ的なもの、
タイムアウトとかを見てその日に出来ることの時間割りを作ってたりする、
宿のベットに寝転がってイメージしているその時間が好きです。
考え疲れて、時差ぼけも加わって全てを放棄して寝てしまうこともある。
逆に一晩で4つくらいのライブをはしごしてみたりもする。
そのいづれもが自分の意志で好きにできる気楽さがよい。
人を引き摺り回すのも、その逆も辛いですからなあ。
人を引きずり回すのも、その逆も楽しいときもあるけど。

さて今月は激しくライブ月間であります。
リハと別のライブの本番が同じ日にぶつかってたり、
録音のあとでライブ本番だったり、
ゲネプロ(本番前のとおしリハ)同士の日程がぶつかって、
片方は自分抜きで行われていきなり本番当日になったり、
出られないライブになぜか名前がはいってたり…。
スケジュール調整が仕事の7割りって感じ(体感)ですなあ。

渋さ知らズに至ってはわたしのヨーロッパ入りが10日近く遅れて
グラストンバリーフェスに自力で直接合流しなくてはいけなかったり、
(ああ、10万人の人込みにスーツケースで飛び込んでいくのか…)

昨日のヨタロウさんのイベント@ラ・ママには
間に合わなくていけませんでした。今日も同じイベントがあるのですが
やはり間に合わない可能性高し。
昼間に加藤千晶さんのリハがあって、柳原さんがいよいよ参加します。
15:30からはイングランド戦まであります。見るの無理だろなあ。

14日のことぶき光さんのライブも本番飛び込み予定。20時目標。
13日のほうはリハからきちんと参加できますが。
14日は15:30から日本戦もあるし…。見たいなあ。
世の中のひとたちは韓国のひとたちのように半休をとるのかなあ。
いいなあ。なんとかならんのかな、しかし。

40.jpg 196×260

公演が始まったばかりのQueenの(音楽を使った)ミュージカル。
まだこなれてないのか、こちらの語学力のせいか、いまいち。
踊りの切れは日本の劇団四季のほうが上かも。
おもわず幕間に近くのライブハウスに移動しそうになりました。

[link:40] 2002年06月13日(木) 11:47


2002年07月31日(水)フェスティバルの日々

気がつくと今日で7月も終わりではないですか。どうも7月の記憶がないと思ったら、
この1ヶ月間は手帳と関係ない暮らしをしていたってことだな。

6/29に徹夜空けで成田空港に向かって、そのまま24時間移動の後に
イギリスはグラストンバリーの演奏会場となるテントの中で、
なぜかパーカッションのフルセットを組み立てていたりした。
サックスを吹くことも無く、準備したハモニカも触ることなく
私の英国デビューは終わったのである。
ロンドンデビューの機会があったら次はじっくりいきたいものだ。
なにせイアン・デューリーとブロックヘッズ、Dr.フィールグッドの国だ。
バート・ヤンシュやマンフレッド・マン、ゾンビーズ、キンクスの国でもある。

翌日の16、7時間連続のバス移動に始まり、かなり過酷な移動、
ライブのくり返し。
合間のケルンで4日間の大部屋共同生活、まかない付。じつに快適だった。
そのなかをシカラムータのライブが行われるブレーメンに出向くには、
かなりのエネルギーが必要だったが、結果おもしろかったので、
思いきりは吉。

行く先々のフェスティバルが実におもしろそうだったのだが、いかんせん
こちらは翌朝には移動しなくてはいけないという状況のくり返し。
1、2ヶ月かけて各地のフェスティバル見物に出かけることが出来たなら
さぞ楽しいことだろう。

渋さのみんなと別れたのちに出向いた、南仏のフェスも同じく。
実際に行ったのはアヴィニョンの演劇フェスティバルくらいだったが、
その周辺の街もかなり多様な催しを準備している様子だった。
フランス語のパンフレットから漏れ聞こえてくる情報は、私にはかなり
わかりにくいものだったのだが。

横川理彦さんのアルバムでお馴染みのタラスコンという街に泊まった。
アルルとアヴィニョンの間のこじんまりした美しい街だった。
つい宿代も奮発して三ツ星に泊まったら、パリの安宿と同じ料金だった。

夏のヨーロッパはいいね。
夜10時くらいまでは普通に昼間のように行動できて、いつの間にか
ぐったり疲れている。でも湿気がないから、つい部屋を出て街を
ふらつこうって気持ちにもなるし。
パリでは街をふらつくことに終始してしまった。
なるべくメトロではなくバスを使って地上を観察するのだ。

航空運賃の安い時期にでもまたヨーロッパに来ることができたら、
美術館なんかに入って寒さをしのぐことにしよう。
冬は食べ物がおいしくなるしね。

冬の食べ物といえば韓国もいいね。
今回はパリからの帰りに2日間ソウルに寄って骨休めができました。
ただ、あまりに疲れていたのと、それまでの飲み過ぎ、食べ過ぎが
たたってがっちりと食事がとれなかった…3回しか。

うち1回は出発直前の空港のレストランで食べたサムゲタン。
もう1回はついた当日、宿で夜中まで仮眠してしまったので、深夜に
営業している飲み屋街へ。二日酔いに効くという有名なスープを食する。
もちろんマッコリを飲みながら。
1回はつい1人なのに焼肉をたのんでしまって全部食べ切るのに必死。
韓国にも限りませんが最低4人以上で食事はしたいところですな。
冬の韓国、オンドルとまっこりツアーでも企画しますか。

今回のカジノは3時間ほどいて一進一退。
スロットマシン、ブラックジャック、カリビアンポーカーと
回ったところで帰る時間となりました。
おいしいお粥もいただけたので結局得したかな。
そのままあかすり、マッサージそして空港へ。

渋さのツアーは40前の修学旅行って感じが良かったですよ。
次回までには、もう少し体を鍛えるか、マッサージでも会得してから
いかないと腰とかやばいかも。
タイマッサージのワットポー4日間コースでも通ってみようかな。

夏の韓国、そして日本に帰ってくるとじつにアジアの一員であることを
実感する。冬場にタイや香港に遊びに行くとき。到着直後のムッとした
感じがあります。それと同じものが味わえたりして。
まだこれが1、2ヶ月続くと思うときついのだけれど。

41.jpg 260×196 (original size)

有閑パリジェンヌと過ごす、 高級ハマム(アラブ風サウナ)にて

[link:41] 2002年09月10日(火) 12:31


2002年08月31日(土)夏の終わり秋の始まり

さまざまな悩みを抱えながら遊びまくっていた8月も終わりです。
今日は久しぶりにメトロファルスのリハーサル二酸化。
電車でリハに出かけた四人で下北の街を3件はしごした。

下北で早い時間から飲むなんて何年ぶりだろう。お店が開いてる
時間帯にふらふらするのも久しぶりだったので街の変わり様に驚く。
こんなに普通におしゃれな街だっけ?

さて、いつも車で参加のドラムのBOSSIさんと飲むのは特に久しぶり。
青山陽一くんのライブでも随分一緒なのにツアーの時くらいだな、
じっくり話しができるのは。人生の先達と話しをするのはいつでも
楽しいものです。ベースのガンちゃんと話すのもこれまたいい。
もちろん3件目で目が座りかかったヨタロウさんもキュートだ。

四人くらいで飲むのって、ひとつの話題が深まっていいんだな。
長い間の悩みごとのひとつふたつが、
すっと軽くなった夜でした。

[link:42] 2002年09月02日(月) 00:50


2002年10月22日(火)楽しみな日々の始まり

今日から約20日間 はシンガーソングライターのサポートが続きます。
明日のリハはまず、あがた森魚さん。久保田麻琴さんも御一緒します。

いつもそうなのですが、曲ごとに使用する楽器を決めるまでが大変。
スタジオに妙に沢山の楽器を運び込んだり、逆にある程度の読みで、
替わりの楽器を使って軽く演奏してみたり。
それがもっとも楽しい時間だったりもします。
レコーディングのダビングで楽器を選んでる時にも似てるね。

明日はいつにも増して経験のない編成になりそうなので、
瞬発力と豊かな発想が重要。睡眠時間もなるべく多いほうが良いな。

続いて加藤千晶さんのリハ、そしてライブ。
ゲストはなじみの鈴木博文さんだし、なにも問題ないでしょう。
ゆっくりとくつろいだリハを過ごせそうです。
こうやって、ライブごとにメンバーの音が馴染んでいくのって
なんだかちょうどいい。

そしてつづくはライオン・メリィさんのリハ、そしてライブ。
バリ帰りの石川さんと会えるのが楽しみ。

アコギを弾く曲がありまして、指が痛くてござる。
あがたさんでも弾く可能性があるので今日はリハビリしてました。
久しぶりに指先が固くなって候。
爪も切ってみました。わりと本気。

名古屋の集客が気になります。
頼みますよ!来年のツアーの有無はみなさんにかかってます。
内容のおもしろさは厳しいメンバー内からも御墨付き。
(本当に厳しいンですよ物事に対して、この人たちは)

で、学祭やらなにやらの渋さ知らズを挟んで
さねよしいさ子さんのリハ、そしてライブ。
あ、あがたさんのライブが先にあるんだな。
近藤くんはその間にROMさんのライブがあったり。

今回は近藤くんと斉藤哲也くんと3人のサポート。
初めての編成ながらよく一緒になる3人。
僕はともかく二人とも歌ものが得意だからなあ。

4人のシンガーソングライターのサポートを始めるまえに
なんですが、自分は歌もののバックが得意なほうでは
ないと思ってます。といいますか、好きなことなのですが、
能力に長けたみなさんと御一緒する度に、自分の能力の低さに
がっかりしたりしますね。わりと必死です、私。

とくに鍵盤やギター一本でも抜群なサポートをするみなさんに
いつも敬服していたりするのでした。
やっぱりわたしのようなロックあがりは演奏が荒くていけません。
さて精進精進っと。
渋さ知らズみたいなのは得意なんだけどねえ。

フジロックで見た元ちとせさんのサポート陣はよかったなあ。
藤井珠緒さんやメリィさんたちだったんだけどね。
清志郎さんのサポートのパンディエロの人もよかった。
久しぶりに、あの楽器うまくできたらいいなあって感情が
湧きました。買わないけどね、たぶん。でも楽器屋で見かけたら
やばいかも。

おう、そろそろねねえといけねえじかんになっちまった。
からすかーで夜が明けたって日にゃ弱っちゃうからなあ。

追:9月〜10月あたりの怒濤のツアーに関してはいずれ
遡って書き足していきます。いい写真もあるし。

[link:43] 2002年10月22日(火) 03:00


2002年11月21日(木)年内の出国予定はありません

大熊亘、坂本弘道、みわぞうといく香港マカオツアーも無事終わりました。
台湾の劇団との舞台は言葉の障害こそあれ、
楽しく進めていくことができました。
昔から見たいと思っていたマカオグランプリもほんの少しだけれども体感。
機会があったらじっくり滞在して見物したいものです。

マカオの何日目か忘れましたが、ぜったい降らないといわれていた雨が降り
(なにせ野外劇だったのでピンチ)その後から急に寒くなりました。
それまで劇団の人たちは昼間、宿泊地近くの海岸で泳いでいたらしいの
ですがとてもそんな陽気ではなくなり、
舞台の終わる10時くらいには身震いするほど。

暑い、寒いって感覚は不思議だよね。
寒いと思って出向いたロシアはそんなでもなく、暑いと思っていたマカオは
涼しかったわけですが、実際の温度から考えたらロシアのほうが、圧倒的に
寒かったはず。そして戻ってきた日本は寒いです。

僕は寒いところが苦手でして、なにせわたしが生まれた浜松はほとんど
雪が降らない。東京に来てあんまり雪が積もるのでびっくりしました。
幼稚園に通っている頃に一度だけ雪が1センチくらい積もったことがあり、
地球儀っていうんでしたっけ?そんな鉄で出来たおっきな遊技に雪が
積もっているのが記憶に強く残っています。
昔の新聞で調べたらその日がいつだったのかわかるんだろうなあ。
ここ10年、20年の記憶は薄れてきていますが、
こどもの頃の記憶はわりと鮮明に残ってますね。

中学のバスケット部が市内大会で優勝して、県西部地区大会も優勝、
県大会で負けた帰りに、これでもう練習がなくなるのかあ?なんて
全然実感がわかなかったときの青い空とか。

高校で野球部が甲子園大会に初出場したとき、いやその県大会の準決勝
くらいの時に大雨が降ってずぶ濡れで学校に帰って来た時のこととか。

浜松の凧上げ祭りっていう大きなお祭りで、屋台(一般的にいう山車)
に乗って締め太鼓叩いたりその稽古をしたり。

家の縁側でハモニカでアニメのメロディを 探り吹きしたり。

中学の音楽のテストでイエスタデイらしきものをギターで弾いたり。
やはり音楽のテストでイルカのなごり雪うたったり。(苦笑)


なんでこんなこと書いてるかっていうと、指輪ホテルのリハのかえりに
寄ったブック・オフで江角マキコのエッセイ兼写真集みたいなものがあって
ちょっと斜読みしてたら部活のことがかかれてて思い出したってとこ。

あと子供のころによんだジョージ秋山のデロリンマン( S40開始)や
デビルマンや釘師さぶやん(包丁人味平のプロトタイプね)も同時に
発見して斜読みしたことも影響してます。

彼女の場合は予想通りバレー部だったのだが。
今考えると謎だよなあ、あの勝つことが素晴らしいっていうはっきりした
価値観。わたしが今、勝ち負けに極力関係ないところに居たいのは
この当時の反動だと思う。それ以外でも負けず嫌いだったしねえ。

自分の中の、他を押し退けてでも勝ちたいっていう根の部分がまだ残って
いるとしたら塩酸ででも溶かしてしまいたいですねえ。

勝ち負け、優越感、そんなものが溢れているアメリカ的考え方は終わって
しまわないかなあ。イルカは頭がいいから可哀想?どういうこと?

草花も牛もブタもイルカも犬も等価に考えたい。つまり余分に食べない。
無駄にしない。ありがたいと思って食べる。それだけが重要だと思う。

はなしはとりとめもなくズレていったが、少々掲示板を整えることで
疲れてしまったので、こんなどうでもいい感じもありでしょう。

[link:44] 2002年11月22日(金) 00:12


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